Cuba felis この動画見て、DVD買ってしまった。夢を見るにはもうあまりにも年を取り過ぎてしまったけれど、いまだ音楽に夢を追い続ける老ミュージシャンの物語。パナマ帽のギターのおっちゃんが主人公。ここではとくにトランペットの音にゾクッとくる。おそらくこの人も無名なんだろうけど、音の詩心に感銘。
あけましておめでとうございます。
昨年も今年もコロナ禍で大変なことになっている世の中ですが、逆に、これまで変えたくても変えられなかった頑迷な価値観を変えていく、よい機会になったと言えるかと思います。
20世紀の負の遺産からおさらばし、22世紀につながる、新しい21世紀文化へ。
個人的にはガイド業と作家活動の二刀流で行きます。
もちろんどちらも片手間ではなく、本気モードです。
よろしくお願いいたします。
昨日は舞鶴の第8管区海上保安部にてシーカヤックとsupについての講演をした。ますます色んなタイプの人が海に出るようになるこれからの時代、安全対策において、海保との連携も必要との話を。その後、海上保安学校の中まで見学させてもらった。まず見る事のない内部まで見せてもらいいい経験に。有意義な1日だった。
ちなみに海上保安学校って、進路として結構アリなんじゃないかと思った。
10数万円の給料をもらいながら勉強でき、卒業生はまず100%海上保安官になれる。
入学も、それほど難しくない。
昨今、公務員の倍率が極めて高いというが、普通の大学を出て公務員になるのはかなり難しいと聞く。しかし海上保安学校に行くとほぼほぼ国家公務員になれる。まあぼくは個人的に、公務員になりたいという心理はよくわからないのだけれど、海上保安官になれるというのならば、進路としてありなんじゃないかと、もし今ぼくが高校生ならば思うかもしれない。
プロフェッショナル度の高い仕事だからね。
10月か11月頃に拙著「地球を奏でる、体感アート ~シーカヤックで世界の海を旅する~」(仮題)が刊行されることになりました(版元はめるくまーる社)。
カヤックを楽器のように見立て、この星の自然や海の詩情を奏でながら、自然の教えを知ってゆく物語風ノンフィクション。
乞うご期待。
まあうちには色んな奴が来る。
妙な行きがかり上、犬を飼うことになった。誰かが捨てていってそこらをさまよい、ボロ雑巾のようになっていた初老の雑種。小汚い上に、イノシシのくくりわなにかかって片足切断寸前で壊死して異臭を放ち、それはそれは弱り目にたたり目、あとは野垂れ死ぬか殺処分されるしかない奴だった。しかし、うちではこんな奴じゃなかったらまず犬なんか飼う気にはならなかったろう。旅も多いしペットはせいぜいメダカを飼うくらいだと思っていたのだが。お座りや待ても教わってないダメ犬だがこれからお客さんや色んな人に可愛がってもらう犬に仕込んでいくしかないか。
というわけでかわいがってくださいね。
名前はオーシャンにした。
こんなズタボロの犬にこそ海の恩恵をということで。
先日ふらりと訪れた、日本一周徒歩旅行中の若者。
浜松からスタートし、紀伊半島を回って和歌山市に向かうところ、たまたま入ってきた。当店の入り口の看板に「シーカヤック日本一周」うんぬんかんぬんと書かれているのをめざとく見つけて気になったということらしい。
一泊して、元気に旅立っていった。
まあ、うちには色んなひとが来る。
会社やめて徒歩旅行とか、自転車旅行とか、カヤック旅行とか、みんなもっとやればいいと思う。
遅まきながら、明けましておめでとうございます。
さて、正月早々思ったけれど、マイクロソフトのwordって、あれあかんな。バージョン変わる度におせっかいな機能が加わって、「どこをクリックしたらええんかな」と惑わされる。おまけにコピペすると、「貼り付けオプション」なる邪魔なものがいちいち表示されるし、脳のスムーズ流れが分断されて困る。
おそらくパソコンもネット業界ももう新しい価値を創造できなくなったので、重箱の隅をつつくような細かい機能だけ刷新して、商売しているように見える。マイクロソフトだけじゃなく、アップルもすでにそうなっているようにぼくは思う。
パソコンからもスマホからも、そういうビームがでている。
10年以上前に「web2.0」という言葉が出てきたけど、その後「3.0」「4.0」「5.0」と革新されず、未だに「なんとか2.0」という言葉が巷で使われているのを見ても分かるように、もうITもデータ至上主義のAIも頭打ちなんじゃないかという気がする。グーグルやアマゾンも、凄いとは思うけど、別に面白いわけではないし。
やっぱり自然よ。自然および、自然と親しむ人間の感性。
自然と人間の多様な関係性。
それが古くて新しいフロンティアだ。
というわけで今年も自然と深く親しみ、そしてガイド業等々に生かしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
Tyler, The Creator: NPR Music Tiny Desk Concert
心の深いところでは、海と音楽はほぼほぼ繋がっている。
これがシーカヤックをマジで20年やってきて得たひとつの知見ですが、そういう観点からしても、これはいい。
女声コーラスの色気がいい。色気といってもエロではなく、メローな海が放つ官能性とかそういう感じのやつ。
辺野古の土砂投入強行もそうだけど、それに限らず世の中全体を見渡しても、いよいよ日本もヤバイ状況に突入したなあという感じが、皮膚感覚的にする。
21世紀ももう5分の1がすぎようとしてるけど、振り返るとますます新自由主義という仮称を被った強欲非情資本主義の猛威に拍車が掛かっている。
21世紀に入る直前、「21世紀は環境の世紀、自然との共生が尊ばれる世紀になるだろう」なんて言説をよくメディアなんかで耳にして、ぼくもてっきりそういう時代になっていくだろうなんて思っていた(シーカヤックを始めたのもちょうどその頃)。なぜなら、人類史をひもとくまでもなく、そうじゃないと人類も地球も破滅していくのは明らかだから。地球は有限で、一方人間が増えても変わらず大量消費・大量廃棄を続けていくとどうなるかは、別にインテリじゃなくても小学生でも、考えれば分かる。そういうわけで21世紀には20世紀の反省を踏まえて、経済なんかも「環境」「自然」を中心的キーワードにしての発展、技術革新が図られて新しい豊かさが生み出されていく非常に面白い世紀になるんだろうな、と思っていた。
でも実際21世紀に入って、5分の1過ぎてみると、この有様。環境の世紀や自然との共生なんて価値観は、マスメディアではほとんど見ることがなくなった。逆に悪い意味での「地球の有限性」が強調されることになった。つまり、完膚なきまでに富が強者に集中するという世界。
世界の富の8割は1%のスーパーリッチが保有している現実。
今の日本市場も、縮小した有限パイの分け前をいかに自分の所に持ってくるか、というところで回っている。
実際目にすることがないだけで、貧困層というのもとんでもなく増えている。
日本の20代の人らに聞くと「安倍政権の何が悪いねん」と支持派が6割を越えると言うけど、ほんとはもっときちんとしたヴィジョンを持ったリーダーならば、もっと豊かで生きやすい世の中、明るい未来になっていたといえる。また、水道民営化にしろ種子法廃止にしろ、結局強欲非情グローバル企業に金庫の鍵を渡すようなもの。過去の南米なんかをみればよく分かる。ま、安倍どうこうというより、安倍は単なる傀儡だからといってしまえばそれまでだけど。
ミルトン・フリードマンというシカゴ学派の経済学者を祖とする新自由主義という名の強欲非情資本主義の正体って、洒落にならんくらい、常識では考えられんくらいえげつないもんやと思って丁度だろう(ほんとは自由ってそんなもんじゃないが、自由という言葉に汚名が着せつけられている。ちなみにグローバリズムというのも、言葉の意味としてはおかしい)。
ほんとはきちんとしたヴィジョンで政治経済が回ってれば、もっと豊かで、暮らしやすい世の中になってたはず。
ということを意識しながら、個人としての有意義な道を探っていきたいものだ。
海水温はまだまだ暖かく(20度ほど)一方気温が下がるこれからの時期、特に朝方冷え込むと水温と気温の温度差で水面に霧が発生します。そこに朝日の光線が入ってくると霧の粒子に色彩が入り乱れ、えも言われぬ美しさを醸し出します。
なにげないですが、意志をもって自然の中に入ってみないと、絶対に出会うことのない光景。
そういう体験を、日常のなかで、できるだけ積み重ねていきたい。
それが豊かさだと思うから。
週末毎に台風で仕事飛ぶので引きこもってハラリの話題の新訳本、「ホモ・デウス」を読んだ。面白かった。
旧人からホモ・サピエンスになり現在までに至る人類史を振り返って検証し、その上で人類の未来を予測する本。
その未来は非常に悪夢的で、残念ながらかなり現実味ある。要は人工知能や生物工学や情報工学と、人間との関係が主従逆転し、やがて人間は無用化、無価値化するだろうという、よくあるといえばよくある予想。
それが人類史を検証したところから述べる所にこの本の面白さがある。
「・・・そうなるとデータ至上主義(AI)は、ホモ・サピエンスが他の全ての動物にしてきたことを、ホモ・サピエンスにする恐れがある」・・・、とか、すごい指摘だと思う。
結局のところ、生命を機械論的に見ることと経済成長主義とが合体した西洋文明とはもう限界なんだということがこの本でよく分かる。
で、最後にヒントのような問いが三つ提起されてるが、別の道に舵を切ろうぜということを静かに、実は強く読者に促しているように思えた。自身の世界的知名度と影響力も意識しつつ。
ちなみにこの本、うちの店の中にある「海旅文化研究所」で貸出可能なので、もし興味ありましたら。
15日~17日までの連休中、フィリピンから大陸に抜けていった台風22号からのうねりが結構入ってきていた。うねりにまつわる出来事が、去年も今年もいろいろあった。
うねりと波は違う。って知識がもうちょっと世の中に浸透してくれれば。
今ここで吹いてる風によって起こるやつが波で、どこか別の場所で起こった大波がセットになってやってくるエネルギーがうねり。水面下で回転運動して移動するうねりは、何千キロも旅することができる。水が移動してるのではなく、回転運動が移動しているわけ。フィリピンの台風のうねりも1,2昼夜かけて、黒潮にも乗って、和歌山沿岸にもやってくる。
遠くの台風からのうねりは、水深のある沖合では回転がスムーズに移動するので海面の起伏がゆるやかだけど、浅くなる波打ち際では回転運動がつんのめってドッカーンとくる。
うねりとうねりの間隔の秒数が大きければ大きいほどパワーがあり、侮ると危ない。
うねりのパワーは見た目以上に強い場合が多くのでえてして波打ち際の事故が起こりやすい。
基本、うねりのパワーは人間の脳みそで想像できる領域を超えている。
海は脳の外側に存在するもの。
ということを、ほんとは海に囲まれた日本人は全員が知っているべきだけど、ほぼ9割の人が知らない。
絶対学校で教えなきゃ行けないことだと思います。
津波は波ではなく、全海水が壁になって移動する現象であるということも同じく。
この時期は秋雨前線の影響を受ける日も少なからず出てきますが、穏やかな海面に雨が降る姿もなかなか風情があるものです。
特に雨水と海水の比重が違うせいか、海面を叩く雨粒は浸透せずにパチパチと弾かれます。それが玉のようになって海面を転がるのですが、ざーっと大粒の雨がやってくると、辺り一面に横溢する白い玉に四方八方ぐるりと囲みこまれます。
その様を俗に「真珠のカーペット」と呼びます。
また雨のあとには普段できない滝があちこちできるので、滝を探しに回るのも面白い。
夏の終わり/秋の初めの晴れの海も、独特のたそがれ感があっていいですが、雨の海もまた素晴らしいものです。正直、着替えるときとか陸上では面倒だな、嫌だなと思うのですが、海に出てしまうと「雨の海の詩情」に全身包み込まれてしまいモードが変わるので、気にならなくなり、すぐに「雨もまた、いいなあ」という思いに変わるのです。