今日はツアーではなくプライベートで中紀の産湯~日の岬間を往復シーカヤックツーリングしました。北西の風が結構吹いていて、行きはスイスイだったけど逆に帰りが結構な向い風で、久々にマジ漕ぎしました。写真は日の岬のてっぺんから眺めた紀伊水道の大海原。
今では「三尾」、昔は「三穂」と呼ばれたこの「日の岬」周辺は風波が強いことで有名で、万葉集にもこの地にかかわりのある句が6首詠まれていますが、多く「風早」という言葉が枕詞になっています。たとえばこんな句があります。
「風早の 三穂の浦みを 漕ぐ舟の 船人さわく 風立つらしも」
通常、お客さんを連れての湯浅湾ツアーの場合、だいたい自分のキャパシティの10分の1とかそれくらいの余力で漕いでいますが(ガイディングではなく、あくまで「漕ぐ」という意味ですので誤解なく)、ロケーションも変え、「風早」という枕詞を地で行くような今日は、手抜きなしの真剣勝負。いやあ、それが充実感あってよかったです。ちょっと忘れかかっていたような感覚。
といっても「命がかかってる」というほどのシビアなシチュエーションではなかったけれど、とにかくがんばって漕ぎ続けなきゃどうにもならないという状況下で日々のごたごたをそぎ落とし、自分のむき出しのボディ&ソウルのみでリアルな風波と対峙したって感覚が濃い手ごたえとしてあり、乗り越えた後に身体の奥底に残ったその感覚がものすごく気持ちよかったってわけです。
まあ、こういう快感のためにシーカヤックを続けているって部分もありますね。で、大げさな言い方かもしれませんがこういうのはいわゆる食欲、性欲、睡眠欲といったベタな快感原則の上を行くさらに純度の高い快感って感じがします。というのも皮相なゼニカネの問題よりはるかに上を行くグレイトな音楽とか、アート作品とか、そういうものの本質とダイレクトに繋がり得るもののような感じがするからです。実際、このあと唐尾のアイランドストリームのクラブハウスで聴いたジャズは最高でした。