
ぼくはよくこのブログで音楽の話題に触れていますけれど、「それとシーカヤックと何の関係があるねん?」とたまにきかれます。
はい、めっちゃ関係あります。
と言いますか、シーカヤックそのものが楽器のようなものだと思います。
音楽は揺らぎの産物ですが、
海も揺らぎの世界なわけで、
シーカヤックで長時間海を漂うという行為を長くやっていると、
音楽の聞こえ方がすごくヴィヴィットに感じられて
不思議というか、非常にワンダフルなのです。
そしてこの世界の根本は
そんなワンダフルさのマグマでできていて、
そのマグマが噴火口からちょびっと染み出てきたしたものが、
音楽ってやつなのかもしれない、
と思うことがたまにあります。
いわゆるひとつの「プラネット感覚」。
雲が流れ、風が吹き、波が立つ、
陸や海や空の自然現象が絶妙なハーモニーを生みだし、
そこに自分自身が溶け込むように、
しかししっかりと自分の意思を持ってカヤックを進ませている。
シーカヤックで「主体的に」漕ぎ進むこと自体が音楽だな、
と、ぼくは実感していて、
さらに誤解を恐れずにいいますと、
ドラッグなんて目じゃねえな、と思います。
まあぼくは個人レベルでは、感性、感覚を研ぎ澄ませるために、
シーカヤックをやってんだ、というところがありますが、
人によってはそれが文学だったり絵画だったり造形美術だったり、
いろいろなところで感性の琴線が揺れ動くことでしょう。
なんでもいいけれど、シーカヤックってのはアートだと思います。
かつ、楽しく気持ちいいシンプルな娯楽であるところがすごいのです。