プリミティヴクール

シーカヤック海洋冒険家で、アイランドストリーム代表である、平田 毅(ひらた つよし)のブログ。海、自然、旅の話満載。

おかげさまで

2015-02-20 22:57:26 | 日記

(前回の記事の続き) 

  結局、国防省は観光省が書いてくれたレターを読んで、
「海軍ともう一度相談する、水曜日までに決定して電話する」という話に。
 もう無茶苦茶やな。

 結局、誰も何も分かっていないということが露呈した。
 本当は、ジャフナでもツーリストが入ってはいけない場所は、
 ピンスポットで決まっていて、港湾施設に入って行かない限り、
 カヤック航行そのものは問題ない可能性が高い。

 黙って通り過ぎていたら何もなかった。

 それをいったん止め、許可書と言ってしまったものだから、
 向こうも引くに引けなくなった。
 で、発行する限りは責任が生じる。どう処理していいのか分かりかねる。
 そういうニュアンスの話である。 

 電話口のオフィサーは、昨日までのMR.ガミガミ系ではなく別の穏やかな口調の人物で、国防省における階級を尋ねると「wing commander」と名乗っていた。多分少佐か中佐だろう。日本大使館の承諾はいるか、と聞くと、いらないと言っていたが、まああんまりあてにはならん。
 水曜日、ギリギリのタイムリミットだ。まあとにかくそれまでブッダの軌跡を辿る小旅行に出るとしよう。

 だけどオレの海旅のテンションは全然落ちてない。
 1ヶ月漕いで新種の海洋哺乳類に変わったからな。
 炎天下、無上陸で8時間とか漕いでも全然楽勝な身体になってるし。
 でも最後にまた、大使館の承諾を、と言われそうな気がする。

 一方、観光省の人は本当に親切で、
 その後どうなりましたか? 許可書は出ましたか?
 と何度も連絡をくださる。
 おかげでイラつかずにすんでいる。
 感謝している。


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推薦レター

2015-02-20 21:53:34 | 日記
 
(前回記事の続き)
 結局、許可書発行の権限を持つのは国防省で、そこのオフィサーが言うには日本大使館の承諾が絶対必要とのこと。そのオフィサーには「何十回同じことを言わすか、私の時間をムダにするな」とどやされた。大使館は、万が一の際の責任も生じるし、個人的なリクエストには答えられないとの一点張り。
 
 だが、こちらも何度も書くように、サポートをしてくれといっているのではなく、通行許可に必要な申請をしたいだけだ。国防省が、大使館の承諾を得てきたら、許可書を出すというから尋ねるだけだ。

 一方、同時に訪れた観光局(Ministry of tourism&sports)は好意的で、国防省に対する推薦レターを書いてくれた。ネイチャーツーリズムにおけるカヤックの価値も分かってくださった。海旅のことも「素晴らしい」と言ってもらった。これを持ってまた国防省に行き例のオフィサーに内線すると「とりあえず書類を見て検討する。お前はその機会だけは得た。」とのことだった。「いつ決定しますか?」ときくと「とりあえず明日検討してからだ」という返答。
 なんとなく週をまたぎそうな気もする。
 結局、日本大使館とも話し合った上での検討ということらしいので、過度な期待はしない方がいいが・・・。

 観光省の人たちは皆すごく知的で、親切だった。
 観光立国にふさわしい人たちだと思う。 
 彼らはこう言ってくれた。
 「私たち役人は、あなたのような人にできる限りのことをするのが義務だと思っています。なのでいつでもyou are welcome」

 まさにCivil Servantという言葉がふさわしい。


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誰も何も分かっていない

2015-02-20 20:34:06 | 日記

 その後コロンボにバスで戻ってきて、北部沿岸沖の航行の許可書を得るために国防省、日本大使館、海軍、観光局を回った。
 国連の国際海洋法における無害通行権などの話もしたけれど、結局誰も何をどうしたらいいのか分からず、いったん許可書を発行したら責任が生じるため、タッチしたくないようだ。日本大使館はISISの一件以来、特にナーヴァスになっているようで、こっちが気を回したくなるくらいだった。結局、もし万が一何かあった時の、日本のマスコミやネット世論のバッシングを気にしている、その一点に尽きる気がした。だけど正直に言うと、シーカヤックで何かが起こる確率よりも、スリランカで道を歩いていて事故が起こる確率の方が遥かに高い。交通ルールがまるでなってないからだ。

 だが、責任という意味ではそんな話は通用せず、なかなか許可書は出してくれない。
 例えば道を歩いていて車にひかれたとする。この場合、大使館は一切関係ない。事故を巡る当事者間のみの責任であって、大使館側は然るべき事後対応をすればいいだけである。だから歩く際に許可書などいらない。しかし、シーカヤック航行の許可を承諾した際には、もし海で事故が起こった場合、いくらこちらが自己責任で海旅しますと誓約書を書いたとしても、大使館側も何らかの責任を問われる可能性は有している。
 そういう論理だ。
 日本のマスコミや世論は確かにそういう所を突つきたがるからナ。
 基本的に彼らは1%の責任も負いたくない機関だ。 

 また次の一点にもこだわってたな。
 国を通したイベントならば考えるが、個人的なイベントには、
 肩入れするわけにはいかない、と。 
 だけど団体だろうと個人だろうと、民主主義国家の日本。
 主権は日本国民にあるわけで、税金を払ってぼくらは彼らを雇っている。
 肩入れとかではなく、ただ通行の申請に来ているだけである。
 別にサポートしてくれと言ってるわけではない。無理なお願いをしているわけではない。
 通行許可を出してくれと言ってるだけだ。
 というより、Navyや国防省が、
 大使館の了承を得たら通行許可書を出してやると言ってるから、出頭しただけだ。
 Civil servantという意味では、任務を怠っていると考えることもできよう。

 結局、観光局が一番マシだった。カヤックという存在を知っていて、「あなたの素晴らしい旅を応援している、何とか交渉するので数日くれ」という話だったが、まあ、あんまり期待していない。

 満足までにはまだ少々到っていないが、国全体の70%くらいは漕いだし、無理だったらしゃあないわと思っている。一周するのはあくまで海旅としての目安で、ひととおりの海旅のDEEPさを掘り下げることには最低限、成功したと思っている。あと少々の日々、今一度別場所に移動して海旅を続けてもいいし、仏教のルーツを探る陸旅に転じてもいい。自然観という意味においてシーカヤッキングと仏教は通じるものがあるからな。

 まあ、あの日、Navyにたまたま止められたのが運の尽きだった。黙って通り過ぎていたら多分、何もなかったろう。止めた手前、向こうにも義務みたいなものが生じるから、「許可書」とかそういう話になったわけ。
 でも「許可書」となると、確かにタイソーだ。
 本当は多分、許可書は要らない。 
 正直、誰も何も分かっていない。
 前例のないカヤックは彼らにとって、舟というよりUFOな存在だ。

 けれど、この許可書を巡る一件がどのようなところに落ち着くか、できる限りのことをやってみるのが今は興味深い。ムダ足に見えて、すごく色々見えてくるものがあるからだ。万事スムーズに行くことよりも、こういう経験も結構大事なんだよな。
 スリランカさんには実にいい旅をさせてもらっているなと、皮肉とかではなく、本当にそう思っている。


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