ジャフナ半島の最北部まで来た。
結局、ハイ・セキュリティ・ゾーンだということで足止めを食らった後、海軍とポリスにたらい回しにされ、バスでコロンボまで戻ってきて国防省に今一度入域許可を申請せんならんことに。
現在、海軍・ポリス・国防省・大使館に挟まれたサンドイッチ状態。
カヤックはジャフナのポリスステーションに置かせてもらってる。
ま、すんなり行かんほうが話のネタにもなるし、命取られるわけでなし、これはこれでどのようになるか見ものだ。
前例ないだろうからな。
提出するレターはひとまずばっちり作成。
それにしてもここんところ、色んなことを考えさせられる。
ここまでの海旅を通して、美しいものも汚いものもたくさん見てきた。
美しきものとは、貧しき庶民達の心のあたたかさだ。スリランカ人は本当に、人が良すぎるくらい心優しい。モノを盗まれたり、怖い目に合ったこともない(ポリスが最もデンジャラス)。メシ食ったか? とか、ここで寝ていけとか、ずいぶん世話になった。お金を渡そうとすると、多くの人は「そんなもんいらん」という。
汚きものとは、システムとか腐敗とか、まあそんな類いのもの。
改めて気づいたことは、シーカヤック海旅っていうのは、平和と自由の象徴なんだということ。その両者、どちらかが欠けても絶対にシーカヤッキングは成り立たない。そして実は、2つが両立している国のほうが世界的に少ない。スリランカは平和になったが、民衆に自由がない。軍事政権の全体主義国家のようにも映る。ポリスとか見てたら、ひでえなと思うことも多い。しばらく現状変わりそうにないけど子供達の世代には海旅する連中が現れてほしいと思う。瀬戸内横断隊に参加する奴らとか・・・。
スリランカには、未来を感じさせる何かがある。
地球のvoiceを感じる海旅の真髄を分かる奴らがこれから100年、200年と世界中で増えていったらいいなと思う。
自由と平和さえあればあとは水深30cm以上ならば世界中どこでも行ける。シリアもイランもイエメンも海の美しい国だし、パレスチナの海もいい。ガザには空爆の合間を縫ってサーフィンしている若者たちもいるくらいだ。帰国したら子供達、若者達に海のスポーツの自由と平和のスピリットについて、伝える活動もやっていきたいなと思う。