毎日新聞で月イチで連載中のシーカヤック記事ですが、湯浅湾編を5回終えたところで、次からは海外トリップを含む「どの場所の」「どんなことを書いても」OKということになりました。ということで今回はタスマニアの話になりましたが、次回からはその時の流れとノリで、インドの話になるかもしれないし、串本の話になるかもしれないし、タンザニアの話になるかもしれないし、五島列島の話になるかもしれない。最低2~3年連載させていただけるとのことです。
何を書いてもオーケーというのは、やりやすいし、ワクワクするし、ありがたいことです。
さて、今回のタスマニアトリップの話は写真記事の通りです。
「滅び去った者達への挽歌」的な内容です。
よろしければぜひクリックしてズームし、お読み下さい。
なお、ズームしづらい、読みづらいとおっしゃる方のために、元原稿を下記に記しておきますのでどうぞご覧下さいませ。
「タスマニア・アボリジニの聖地、ザ・ナット」
オーストラリア大陸の南東海上に位置する北海道より少し小さな島、タスマニアを巡った2010年のトリップで、北西部沿岸を漕ぎ進んでいる時のこと。岬を越え、一つの島のように巨大な台形の岩山が水平線に現れた。その堂々たる風格は一目見ただけで特別な存在だと分かったが、近づけば近づくほど、厳かで神聖な雰囲気がひしひしと伝わってきた。
「ザ・ナット」。タスマニアのエアーズロックとも言われ、その昔にはタスマニア・アボリジニの聖地だった岩山だ。「だった」と過去形で書いたのは、彼らはもうこの世にはいないからだ。過去に最大3万6千人いたといわれるタスマニアのアボリジニは、白人の入植者に滅ぼされ、1876年に地球上から完全に消え去った。そして聖地だけが残っているわけだ。
その日は強い風波に悩まされ大変だったが、海面から見上げる「ザ・ナット」は畏怖感を放ちながらも、孤独に漕ぎ進むぼくをどこか見守ってくれているような、どっしり感があった。そう思っていると、もちろん偶然だが、風波がやんできた。
近くの浜に上陸し、頂上まで登ってみた。そこから大海原を見つめたとき、心にガツンとくる衝撃と同時に、熱くこみあげてくるものを覚えた。
海の広大さが、めまいを伴って、よりリアルに感じられた。圧倒的な質量の、地球を青く彩る海水。その果てしなさ、寄る辺なさにおいて、宇宙そのものだと思った。ちっぽけな人間の身体にとっては宇宙も海も同様、無限の世界だ。目の前に広がる大海原が大宇宙で、足元にそびえる「ザ・ナット」は大宇宙を旅する宇宙船。そしてぼくはこの宇宙船に乗り、守られつつ、一緒に旅している。そんな錯覚に陥った。
この「守られ感」とは、ニュアンスは違えど、タスマニア・アボリジニたちも、きっと同じように持っていたものだろう。
聖地とは、場所特有の空気感を伝えるメディアみたいなもの。そこを訪れ、カヤックという超敏感な舟を漕ぐことによって時空を超えて空気感を共有し、この世から消え去った彼らの生きた証というか、体温のようなものを感じとったのだ。
「かわいそうに、タスマニア・アボリジニたちよ。さぞ辛かったろうよ。あんたらがこのザ・ナットを愛したように、おれもこのザ・ナットで感じたことを大事に胸にしまって、生きていくぜ。時々は思い出すぜ、こんな感じでな」