知床の事故について心痛むと同時に色々考えさせられる。海を知らずして海の仕事(特に観光系)をする人が増える世の中の流れの中で起こった象徴的な出来事のようにも思える。
海に出るときに最も大事なのは状況判断力だけど、まず現場では感覚や勘や想像力をフル稼働させて先々を推測していく必要がある。感覚や勘などと言うと、根性論あるいはスピ系に思われがちだけど実は逆で、自然の「変化の気配、予兆を感じる」というのは、抽象や嘘の介在しない、最も物理的で科学的なものだ。さらにそこから想像力を駆使して先々を読んで危険を回避する。だけどそれはさまざまな経験を重ねつつ、操船から観天望気に至るまで意識的に研鑽を積んでいかないと養われない。昔の「海の男(女)」と言われる人たちはみな、そうやってナビゲーション能力を身につけていった。
だけど今は船の性能も良くなり、また天気予報の精度やGPS機能も上がっているので、良くも悪くも身体感覚やイマジネーションを使う必要がなくなっている。漁師ですら、言葉の端々や目の動かし方から素人くさいなと感じる人も結構多い。カヤックやSUPなんかでも、検定や講習を数回受けて修了すれば、ハイもうガイドです、という型枠が出来上っていて、実際そういう連中の方が多数派だったりする。さらに会社組織の社長は現場を知らず、売上にしか目が行かず、現場の船長やガイドは「催行中止」する権限を持たないというケースも多い。今回の場合、海水に手を浸けてその冷たさを感じたこともなかったのではないか?
大局的に見ると、経済的パイが小さくなった日本社会で効率効率一辺倒の競争を余儀なくされ、余裕がなくなり、どの業界も職人気質が尊ばれなくなった世相の中で、起こるべくして起こった象徴的な事故だと思われる。しかし海や自然は、世相や社会状況と関係なく、昔も今も同じ風が吹き、同じ波が立つ。やはり海に携わるプロは職人、そしてアーティストでなければいけないのである。たとえばカヤックガイドなどは、ホームのフィールドを隈なく知ると同時に色んな海の色んなシチュエーションに身を置いた経験が必要で、最低1ヶ月は海旅をした経験がないと、もうお話にもならない(だがこの業界では、海旅経験のないガイドの方が多数派になっている)。
しかし、気をつけなければいけないのは、どんなに経験を積み重ねた熟練者できちんとしていても事故を起こす可能性は常に孕んでいて、逆に超ドシロートで何も知らなくてズサンの極みだったとしても無事何事もなかったように帰ってくるというケースもあり得るということ。海や自然はそれほど厳しい世界でもあるということだ。逆にだからこそ面白くもあるのだけど、そこのところも踏まえた上で気をつけたい。