出雲の神在祭にやってきた。次作「黒潮ストリートの知恵」の取材として。
琉球とか南方から対馬暖流に乗って渡ってきたセグロウミヘビというウミヘビが夏場この辺りで過ごすが、今ぐらいの時期から北寄りの季節風が本格化し、北を流れるリマン寒流からの冷たい水が接岸してくることによってセグロウミヘビはこごえ死に、浜にうちあげられる。そのセグロウミヘビが死んで龍蛇神となり、ガイドとなって全国の神々を迎えるのが神在祭。
11月は神無月というが、それは全国の神々が総出で出雲に参るからそう言われる。逆に出雲では神在月という。その神々は海からやってきて浜に上がって出雲大社に歩いて向かうのだが、その案内役がセグロウミヘビになるというわけ。
要するに丁度南方系と北方系の自然のエッセンスがこの時期この場所で合わさるという自然信仰が土台にある儀式だが、南方系とは琉球、台湾、フィリピン、東南アジア、インドネシア、ニューギニアなどオセアニア世界にもグラデーションでつながっていく筋があり、一方北方系とはサハリン、千島列島、朝鮮、中国、アリューシャン、ロシア沿海州、アラスカへとグラデーションで繋がっていく筋がある。その接点がこの時期この場所っていうこと。それを祭ろうとした古代人の自然観察眼は凄い。
要は北方系も南方系も倭人も隼人も蝦夷もアイヌもメラネシアンもコロポックルもタオ族も漢族もジャパ二もコリアンもアボリジニもチャモロ人もキリスト教徒もイスラム教徒も仏教徒もヒンズー教徒もみんな争わず仲良くやろうや、そして何より自然を大切に、という隠された意味があるのがこの神在祭である、というのがぼくの解釈。あるいは21世紀のグローバル化したこの時代そう考えるべきなんじゃないかというのがぼくの意見。
そう考えると、セグロウミヘビがホスト役になるという事にも合点がいく。
まさにヤポネシアン的な思考法。
ということで日御碕あたりから祭りの行われる稲佐浜あたりまでシーカヤッキンク。昼飯に浜に上がり、セグロウミヘビが打ちあがってないかいな、と浜を歩いてみると、セグロウミヘビはいなかったが代わりにウミガメの死骸が打ちあがっていた。 同じく神話的なシンボル。南方から黒潮に乗ってやってきたやつ。
凄いなと思っているとどこかで誰かが吹くホラガイの音がきこえてきた。
水平線のキラキラする光の乱舞が美しい神々の舞のように見えてきた。