最近、道というものについても色々考える。先日、熊野古道の伊勢路を熊野から伊勢まで歩いた。
以前は道なんてものより道なき道を行くみたいなのがよく、だから道などない海が好きだったのですが(その嗜好性は変わらないけれど)、たしかに古い道というのも興味深いなと改めて思えるようになってきた。
だいいち、こんな石畳やらなんやらを敷いて、人力で道を作ることだけでも超たいへんだったろうとしか言いようがないし、かつまた過去に何万、何百万、何千万という延べ人数の人々に歩かれてきただろうその道の、眼に見えない年輪と一人一人の想いなどを考えると、ああすごいもんだなと思わざるをえない。
しかし、じぶんが歩いている分には、周囲には誰もいないしほとんど静まり返っていて、その中で小鳥の鳴き声なんかが聞こえてくるだけで人間の気配などまるでなく、すべての人々の思念が幻だったように思えてくる。そしてぼくが歩いていたその瞬間瞬間の思念も、やがて同じ幻の中に吸収され、消えていくというわけ。
そのような関係性が、はかなくも興味深い。