一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

3027  炎帝やマスクマスカラ背にリュック  関谷豊狂

2024年01月20日 | 多留男会合同句集「天岩戸」

 令和二年二月、豪華客船ダイヤモンド・プリンス号において何か得体のしれない伝染病が蔓延したという「ニュース」が伝えられました。やがてその原因が新型コロナウイルスと判明し、連日、テレビや新聞で全世界の国々の感染状況や死者数が報じられるようになりました。半面自分の周りでは全く見えないために、当初は、まだまだ他所事の様に受け止めていました。

 ところが、その内にソーシャルデスタンスだの何の彼のと新型コロナ感染防止の施策が次々と日本社会に打ち出され、否応なしにその空気に押し流されいつしか感染予防が日常生活に溶け込んでいきました。

 このような状況の中、日本で開催されるオリンピックが延期されたり、ロシアのウクライナ侵攻が勃発するなどこれまでの常識では考えられない重大事件が次々と起こり、正に世紀末の様相を呈しました。

 掲句は、日常必需品のマスクを付けているギャルの様子ですが、コロナは感染法上、「五類」に移行しマスクは本人の判断と言われていますが、当面マスクは日本社会から消えることは無いと思います。

私には異常と言う他に言葉がありません。

(合同句集「天岩戸」より 関谷豊狂記)

キスイセン(黄水仙)

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3026  今日揚羽きのう金蚉あなたなの  石井稱子

2024年01月18日 | 多留男会合同句集「天岩戸」

(きょうあげは きのうかなぶん あなたなの) 

 昨年の四月に五十四回目の結婚記念日を祝い、その三週間後に夫は旅立ってしまいました。別れというものは、あっけなくやってくるということを、今さらに口惜しく思います。夫との別れを詠まずにはおれませんでした。私の気持ちが彼に届いてくれると信じて・・・・・

一瞬に白牡丹散り夜のしじま

夫逝きし春繰り返すありがとう

雪解富士遠出約束そのままに

遺影の笑顔揺れ止まぬ葉桜よ

森閑と返事相槌無きおぼろ

居る人の無く徒然や夕桜

 岩戸窯で、俳句の会「多留男会」に出会い、早二十数年が経ちました。自然を愛で心の折節を詠んで参りました。修練も足りず、努力、不勉強を恥じながら過去の日々を懐かしく辿っている・・

 ささやかな自分史かとも思います。また、句集にしていただけますこと、何より感謝致しております。

(合同句集「天岩戸」より 石井稱子記)

ロウバイ(蠟梅)

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3025  青嵐洗濯物が肩を組む  片岡淡白

2024年01月16日 | 多留男会合同句集「天岩戸」

 自宅居間からベランダに干してあった、洗濯物の長袖下着が風に吹かれて、隣の大型箱型ハンガーの洗濯物の上に両袖を乗せてまるで人が後ろから前の人の肩に、両腕を乗せて踊っている様子を見て思い出しました。

 それは高校生時代、地区の高校の集まりでフォークダンスをした思い出です。男子校だったので女生徒と縁が無く、ワイワイ、ガヤガヤと悪友たちと同じような妄想を持ちながら参加したのです。

手を握り「オクラホマミキサー」等の演奏で一緒にフォークダンスをしたのですが、今では信じてもらえないかもしれませんが、ビクビク、ドキドキそしてワクワクしながら踊ったのです。

 結果はお付き合いどころか友人関係にも進展しなかった、淡く切なく、楽しかった私の青春時代を思い出したのです。

(合同句集「天岩戸」より 片岡淡白記)

スイセン(水仙)

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3024 多留男会 第12合同俳句集「天岩戸」 はしがき

2024年01月15日 | 多留男会合同句集「天岩戸」

 私が小澤多留男先生に出会ったことは、私の人生における無二の幸運であった。生まれて初めて、心から師と呼べる人に出会ったからだ。それ以来、三十数年に渡り薫陶を受け、俳句を通して多くの仲間達と出会った。今まで句会に参加された方は、百名を超えているが、多留男先生から受け継いで今日まで句会を続けて来られたことに、私は心から感謝している。

 多留男先生は元陸軍軍医として、最も過酷で無謀な戦いと言われているインパール作戦に参加した。爆撃で難聴になり、終生を戦争と共に生きたと言える句が、

インパールわが生涯の夏野かな  多留男

 戦後日本鋼管病院に勤務した頃、師として秋元不死男の「氷海」に参加して活躍したそうである。後輩に鷹羽狩行、上田五千石がいる。私達は、秋元不死男の孫弟子なのである。

 秋元不死男は戦前、新興俳句運動に加わり、反政府運動として弾圧され、投獄されたことがあり、戦後も伝統俳句とは一線を画していた西東三鬼、山口誓子などと交わり、多留男先生もそういう俳人たちの句会に参加していたそうである。

鳥わたるこきこきこきと罐切れば 不死男

 多留男先生が退職して、故郷の真鶴に帰って開業し、俳句の先達として初心者に一から指導していただけるという話を聞き、誘われて私は入会した。

 さて、宮沢賢治に「虔十林公園」という童話がある。その冒頭は「虔十はいつも繩の帯をしめてわらって杜の中や畑の間をゆっくりあるいてゐるのでした。雨の中の青い藪を見てはよろこんで目をパチパチさせ青空をどこまでも翔かけて行く鷹を見付けては、はねあがって手をたゝいてみんなに知らせました。けれどもあんまり子供らが虔十をばかにして笑ふものですから虔十はだんだん笑はないふりをするやうになりました。

 風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは、虔十はもう嬉しくて嬉しくてひとりでに笑えて仕方ないのを、無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながらいつまでもいつまでもそのぶなの木を見上げて立ってゐるのでした。」岩手をイーハトーブと呼んだように、虔十は呼び方を変えた賢治自身なのである。

最近、日本の植物学を構築した牧野富太郎のことをNHKの連続ドラマで放映したが、初めて出会った花に「あなたはようここに咲いているねえ」と嬉しそうに呼びかける万太郎は、賢治(虔十)と同じである。

 花鳥諷詠、感動をもって今を詠うのが俳句の基本である。木々が芽吹き、花が咲き、太陽が昇り、どうと風が吹き、雨が大地を打つ。蝉が鳴き虫が鳴き、川がせせらぎ、海の波音、そういった様々な事象に感動する心を開かせるのが俳句なのである。そして、この感動する心を失ったら、俳人としてお払い箱であろう。

 但し、花鳥諷詠とは言っても、人生観、生活の感慨、教訓、想像や夢などのフィクションを詠うことを否定してはならない。又、無季、季重ね、字余り、字足らず、川柳なども安易に否定してはならない。俳句の基本から外れてはいるが、太陽系における惑星であって、それらも俳句と考えるべきである。俳句の許容量は、広く大きいのだ。

 空海が始めたと言われている四国遍路。私が国道を歩いていた時、車が止まり娘さんが降りて来て「お接待です」と言って千円札を貰ったことがある。又、道路で待っていたお婆さんから五個の甘夏を貰い、疲れていてその重さに閉口したことがあった。

 いずれにしてもお接待は、誰にでも無報酬で自分のできる範囲で奉仕し、お遍路さんに喜んでもらう。お茶がないときは、心があれば唯の水でも良いのだ。無償の奉仕、そんなつもりで、私は句会や句集発行に携わってきた。

 昭和五十五年、多留男会第一回句会の時に、俳句を手描きしたコピー紙を貰った。その時、手描きは大変だろうから、整理された活字印刷プリントを作って配ると良いなと思い、当時としては珍しい印刷もできるワープロを買った。そして、二回目から皆さんにプリントを配ってとても喜ばれた。それ以来、月一回の句会のために色々準備をしたが、みんなに喜んでもらうことが、私の喜びだった。それ以来、私は幸運にも健康に恵まれ、通算八〇〇回を数えるが、ほとんど句会を休んだことがない。

 連歌の発句が独立して、江戸初期に俳諧が始まった。それ以来四〇〇年、日本の津々浦々で、俳諧(俳句)は、句座、句会として連綿と途切れることなく続いてきた。日本に市町村は千七百余あるから、句会も二千余はあるだろう。私達「多留男会」も句会という流れの一端を担っているのである。小さな流れではあり人は入れ替わっても、これからも多留男会が継続されることを願って止まない。

2024年 令和6年 睦月       小坂 釣舟

センリョウ(千両)

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3023  枯草を寄せれば小さき虫がおり   心 

2024年01月13日 | 

 冬眠するのは、熊や蛇、蛙、亀などの哺乳類や爬虫類などの大型動物ばかりではない。小さな様々な昆虫類も地下や枯れ草など様々な場所で冬眠している。

 ストーブで燃やすため、薪小屋から薪を運ぶと、よくいるのがカメムシ(亀虫)である。室内に入れると暖かいので、のそのそ這い出して来る。気付かずにカメムシに触れると、強烈な臭いを発する。どうにも好きになれない悪臭である。従って、一度に大量の薪を室内に入れない、少しづつ運ぶのが鉄則である。

 

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3022  年の瀬を走り抜けたる救急車  流水

2024年01月09日 | 

 この句の救急車は、ある街を走る特定の救急車ではなく、年の瀬という地球上の時空間を走る全世界の全救急車を指しているのである。

 世界では、ロシアがウクライナを、次いでガザでもイスラエルが殺戮を行っている。一般国民がどんなに強く平和を願っていても、政治家になった権力者たちは、何故か戦争をしたがる。

 ロシアやイスラエルにしても、その国の政治家を選んだのはその国の国民なのだから、日本を含むどの国民も殺戮が好きだ、ということになる。人間が平然と人間を殺し、一方で怪我人を助けるべく救急車が駆けつける。なんという理不尽な現実だろうか。

 私達新人類ホモサピエンスが生まれておよそ三十万年、常に戦争と略奪の歴史だった。これからもアメリカを中心とした愚かな権力闘争が続くのだろう。新型コロナやGAFAなどの経済格差によって、既に「新種の第三次世界大戦」が始まっている、とも言われている。一部の超金持ちによる貧乏人の家畜化・奴隷化である。これは誰も気付かないようにひそかに行われている。

いずれにしても明日は我が身、自然災害と同様、再び日本が戦争に巻き込まれるかもしれないのだ。

原木椎茸は、雨が降ると巨大化します

直径10cm以上になったらバター焼きが超美味

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3021  盲聾の犬抱き寄せし寒夜かな   釣舟

2023年12月21日 | 

(もうろうの いぬだきよせし かんやかな)

 先月、我が家の雑種犬デンが、十四才で亡くなりました。半年ぐらい前から、次第に老衰の症状が出てきました。自力で車に乗れない。何でもないところで躓く、転ぶ。やたらと水を飲む。呼んだら反対に振り返る。目が見えなくなり真っ直ぐ歩けない、壁にぶつかる。次第に食べなくなる、水を飲まなくなる。痩せてくる。寝たきりになる。明日の我が身を見ているようでした。

冬の雨死にゆく犬の足擦る

木枯や空見上げては墓を掘る

犬の墓穴深々と落葉敷く

亡骸に土を掛けゆく寒さかな

君の居るごとくストーブ焚きにけり

お墓には、文旦の苗を植えました。周りには、白椿、満作、紅葉、金柑、紫陽花があります。一年中楽しんでね!

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3020  新之助てふ新米を白粥に  冬華  

2023年12月15日 | 

 コシヒカリ70%の生産量を誇る新潟県で、気候によるリスク分散を図るため、早生品種の「こしいぶき」と晩成品種の「新之助」を開発したという。2017年より販売を開始し、コシヒカリの遺伝子を25%受け継いでいるが、その食味はまったく異なるという。

 さてこの句、新之助、新米、白粥という「し」音の繰り返しが心地よいですね。但し、白粥にしてしまって、新之助の美味さが消えていないか、気になる所です。

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3019  ふる里の駄菓子屋も消え鰯雲  凛

2023年12月10日 | 

 物心が付いた頃、我が家にあった電気製品は、裸電球とラジオのみだった。それから洗濯機が来て、冷蔵庫、テレビ、黒電話、蛍光灯が来た。自転車とリヤカーがスクーターになり軽自動車になり、普通車になっていった。

 当時の田舎には小さな雑貨屋があり、そこには子供たちのための駄菓子、大人のための食料品、農具、金物、酒、たばこ、燃料などを揃えていた。

 地域によっては、子供たち専用の駄菓子屋もあった。この句の駄菓子屋は、作者の年齢を考えると、ウン十年前に足繁く通った駄菓子屋なのであろう。

 産業革命以後の科学文明は、幾何級数的に変化している。生まれるものと滅びるもの、その変化に右往左往せず、地道に生きていきたいと思うこの頃である。最近は、パソコン、スマホは当たり前、自動運転の車やドローンのタクシーが完成間近である。しかし、科学は進歩しても、戦争はなくならない。人類は愚かのままだ。人類破滅を危惧するのも私だけではあるまい。

 さて、あるものを詠うのが俳句の基本ではあるが、この句のように無いもの、無くなってしまうものを詠うこともできるのである。

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3018  第497回 岩戸句会 11月 

2023年12月06日 | 岩戸句会

ふる里の駄菓子屋も消え鰯雲     凛 

身の軽き茶髪の庭師冬構       〃

     

冬構始まる脚立運ぶより       冬華          

新之助てふ新米を白粥に        〃

 

サッチモをバーボンで聴く寒夜かな  仁 

うとましや時雨の夜の腰の骨     〃

 

冬構伊豆の山々セピア色       豊狂

朝時雨ゴミ出し男背丸し       〃

        〃

畑道の草寝そべりて冬ぬくし     信天翁

冬ぬくし身動き軽き昼下がり      〃

 

老集う居酒屋ムード囲炉裏端     淡白           

大松の枯れ葉重なりゴザ模様      〃

 

奥付の横に旧姓一葉忌         紅 

残菊や畝の隅っこに括られし      〃

 

もの言えぬ犬の涙や山眠る       コトリ

榛の実をクシュクシュ踏んで山路かな   〃

        

初霜のたよりを聞けば冬構       みやび

あと五分ふとんをかぶりしがみつく    〃

  

立冬に夏日を記すエルニーニョ     伊豆山人 

酉の市熊手にサイフが届かない      〃

 

花八ツ手死にゆく犬の眼に泪          釣舟             

亡骸に土を掛けゆく寒さかな       〃

       

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3017 鵙高音国宝立正安国論  釣舟 

2023年11月23日 | 

(もずたかね こくほうりっしょう あんこくろん)

 平清盛(1118~1181)が武士政権を起こし、朝廷にまで権勢を誇った平家時代は、壇ノ浦の戦いによって25年の短命に終わった。替わったのは、源頼朝の起こした鎌倉政権であったが、源氏も滅ぼされ、北条氏に取って替わられた。

  鴨長明の「方丈記」によると、鎌倉幕府が成立するまでに、京都では様々な自然災害や大火があった。

1177年      京都の大火 (安元3年4月28日)

1180年      京都の竜巻 (治承4年)

1180年      福原遷都  (治承4年)

1181~1182年 養和の飢饉 (養和年間)

1185年      京都の地震 (元暦2年7月9日)

1185       頼朝により鎌倉幕府が開かれた。(文治元年)

 そういった社会不安の中から鎌倉幕府が誕生し、「鎌倉新仏教」と称する仏教が勃興したのだ。法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗)・栄西(臨済宗)・道元(曹洞宗)・日蓮(日蓮宗)・一遍(時宗)によって始められた六宗である。

 北条政権になってから、室町幕府が成立する1336年(建武3年)までの、鎌倉時代150年間も、地震・暴風雨・飢饉・疫病などの災害が相次いだ。当時鎌倉にいた日蓮は、執権北条時頼に「立正安国論」を提出した。しかし、時頼から「政治批判」と見なされて、翌年に日蓮は伊豆国に流罪となった。市川の中山法華経寺には、国宝の「立正安国論」がある。

鴨長明 1155~1216

親鸞  1173~1263

道元  1200~1253

日蓮  1222~1282

一遍  1234~1289

さて、現今の日本では、2025年問題などと、世界規模での危機意識を煽っている人々がいるようだが、自民党政権による政治の腐敗と堕落、日本の経済的没落のこの30年を鑑みると、あながち荒唐無稽とは言えない。

 社会不安は第一に、(地震、風水害、気候変動、食糧危機)など、政府が関与しても修復できないような大規模な自然災害から始まるのが常である。社会の不安から混乱へ、治安が悪化し、内乱や戦争に発展する危機を孕んでいる。

食用菊(もってのほか)

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3015  下校時の鞄跳ねてる秋麗  豊狂

2023年11月20日 | 

 (げこうじの かばんはねてる あきうらら) 

  新型コロナのパンデミックがようやく収まったけれど、11月なのに早インフルエンザが猛威を振るっているという。10月27日時点の全国では、学級閉鎖2939学級,学校閉鎖55校に及んでいる、という。

 しかし、雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持っている子が、熱海にはたくさんいるようで心強い。

 この句、背中の鞄に焦点を当て、元気な子供の様子をとらえている。秋麗という季語の斡旋によって、作者の微笑みさえ見えてくる。

鰯雲(鱗雲、鯖雲などとも)

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3014  行く秋の我に神なし仏なし  子規

2023年10月27日 | 

 明治を生きた子規は、俳句、短歌、小説、評論など多方面にわたり創作活動を行い、漱石や虚子などに俳句を指導し、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした。

日清戦争に記者として従軍、その帰路に喀血し、次第に結核に侵されていった。以後35才で亡くなるまでの7年間、子規庵で句会や歌会を催し創作活動を行った。しかし、病床の子規にとって、やり残したことが多々あったはずである。

「まだ死にたくない。神様、仏様助けて下さい」と懇願し祈ったに違いない。しかし、病は重くなるばかりで、その苦痛に耐えかねて掲句になったのであろう。

ソバ(蕎麦)の花

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3013  石山の石より白し秋の風   芭蕉

2023年10月25日 | 

「青春、朱夏、白秋、玄冬」と季節を色で示すのは、陰陽五行思想からきている。この句の「白し」は、秋風のことを言っているというよりは、秋の深まりをも言っている、と解釈すべきである。つまり、

「古来、秋は白いと言われているが、近頃は朱夏の暑さも収まり、白秋はすっかり深まって、ここの石山の石より白いのである。そこに心地良い秋風が吹いている。」

ウド(独活)

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3012  御祝詞朗々として無月かな   釣舟

2023年10月19日 | 

(おんのりと ろうろうとして むげつかな)

 江戸時代までの日本人の夜となれば、ほの暗い蝋燭の明かりで、家族と過ごす時間のみが豊かに流れていた。そんな夜の生活の中で、夏の猛暑が去って涼しくなり、屋外に出ても蚊が少なくなり、月が如何に大きな存在であったかは、想像に難くないであろう。

 日本人にとって、旧暦で月日が動くのも、月とのかかわりがし易かったであろう。毎月の1日は月がない朔であり、7日は上弦、15日は満月、23日は下弦、そして1日に戻る繰り返し・・・一日の半分が夜となれば、昼の太陽以上に、夜の闇における月の存在は人々にとって大きかったのである。

 落語で「おい、八つぁん、天気もいいし15日だから遊びに行こうぜ」という、満月の夜の月明かりを頼みにして、夜遊びに誘う会話が成り立つのである。

月は一年中存在し、最も鮮明に見えるのは、空気が最も澄む冬である。しかし、季語としての月は、冬ではなく秋である。これは単に、夏は蚊が多く冬は寒いので、屋外での鑑賞に耐えないからである。

 現代日本人は、室内外を問わず、電気による照明という実に明かるい夜の生活をするようになった。テレビなどの娯楽があり、屋外に出て月や星を眺める習慣を全く失ったといっても過言ではなかろう。

 又、天の川(銀河)などは、夜空が明るすぎて日本国内のほとんどで見ることができない。日本の小学生の半数が、魚は切り身であると思い込み、月の満ち欠けを知らない、という話を聞いたことがあるが、信じるに足る恐るべき話である。夜空は、暗いほど星が良く見え、月の明るさが増すのである。 

 さて、江戸時代以前の人々にとって、秋に月を愛でる夜時間はたっぷりあった。いわゆる夜長である。14日の夜から20日の夜までの月の名前をみれば、月に対する人々の暮らしようが、よく分かる。

 又、月に関する言葉の数を見ても、日本人の月に対する愛着がどんなに強かったかが、分かるであろう。尚、十五夜や十三夜にお供えをして月を祭る風習は、日本以外にはないそうである。以下、月に関する言葉と意味を調べて見た。 

小望月、待宵・・・明日の十五夜を待ちかねて、満月を恋うている

名月、無月、雨月・・・一年で最高の満月を愛でる。なくても愛でる。

十六夜(いざよい)・・・月の出が遅いのをいざよう(ためらう)

十七夜・立待月(たちまちづき)、

十八夜・居待月(いまちづき)、

十九夜・寝待月(ねまちづき)、臥待月(ふしまちづき)

二十夜・更待月(ふけまちづき) 

下弦の月 満月と次の新月の間の半月をいう。逆Dの字で次第に欠けて行く。

二十三夜待ち 陰暦23日の夜半過ぎに月待ちをすることで願い事が叶うと言われている。

二十六夜(にじゅうろくや) 陰暦26日の月のこと。

虧月(きげつ) 満月から新月までの間の、次第に欠けて細くなってゆく月のこと。

晦(つきごもり) 月隠り(つきごもり)が転じたもので月の末日、晦日(みそか)のこと。

中秋/仲秋 陰暦8月15日のこと。秋(陰暦7、8、9月)の最中にあたるところから中秋という。

月待ち 月の13日・17日・19日・23日などの夜に人々が集まり、月の出を待って拝む行事のこと。

月見 観月(かんげつ)ともいう。特に陰暦8月15日と9月13日の月を観ることをいう。

月の頃 満月前後の月の眺めの良い頃のこと。

寒月(かんげつ) 冷たく冴えた冬の月のこと。

月天心(つきてんしん) 冬の満月は頭の真上近くを通り、天の中心を通っているように見える。

雨月(うげつ)/雨夜(あまよ)の月 雨で見ることのできない名月を言う。恋人の姿を想像するだけで実際には見られないことに例えて言う。

雪待月(ゆきまちづき) 今にも降り始めそうな雪催いの空にかかっている月のこと。陰暦11月をいう

薄月(うすづき)月が霞んではっきりしない。そのような夜のことを薄月夜(うすづきよ)という。

明月(めいげつ) 清く澄んだ月のことで、名月をさす。

弓張月(ゆみはりづき)/弦月(げんげつ) 弓のような形をした月のことで、上弦または下弦の月。

天満月(あまみつつき) 満月のこと。天満星(あまみつほし)は夜空一面の星をさす。

月白、月代(つきしろ)/額月(ひたいづき) 月が出ようとしている時、空が明るくなる状態をいう。

田毎(たごと)の月 小さく区切った棚田ごとに映る月のこと。

月宿る 月がその夜の座を占めること。

白道(はくどう) 月が天球上に描く軌道のこと。

月明かり/月光・月華(げっか)・月明(げつめい) 月の光、または月の光で明るいことをいう。

月下(げっか) 月の光のさす所。夏の夜に咲く純白の大輪を月下美人という。月下香(チュベローズ、オランダ水仙)は夜強い芳香がある。

月夕(げっせき)月が煌々と照っている夜のことで、陰暦8月15日の夜をさすこともある。

月前(げつぜん) 月光が照らしている範囲。他の勢力の前で影が薄くなった存在を月前の星という。

月影(つきかげ) 月または月光のこと。更に月の形、月の姿、あるいは月の光で映るものの影のこと。

月の氷 澄み渡った夜空に冴えた月が氷のように見えることや、月光が水に映って煌く様子をいう。

月の剣/月の眉 三日月の異称。

月の霜/月の雫 月の光が冴えて白いのを霜にたとえて言う言葉。同じように月の雫と言えば露をさす。

月の鏡 月の形を鏡に見立てたもので、満月または晴れ渡った月のこと。

月の真澄鏡(ますかがみ) 月影を映す池の面を澄み切った鏡に例えた言葉。

月の盃(さかずき)弓なりに反った月を盃に見立てていう言葉。

月の船 夜空を海に見立て、月が動いて行く様子を船に例えた言葉。

月に磨く 月の光に照らされ、景色が一段と美しくなること。

月に明かす 月を見ながら夜を明かすこと。

月色(げっしょく)月の光または月の色のこと。同じように月の光をさすものに月気(げっき)がある。

月の顔 月または月の光のこと。

月輪(げつりん)月の異称。月の形が丸く輪のように見えるところから言う。

月魄(げっぱく) 月または月の精や神をさす。

月暈(つきかさ) 月の周囲に見える光の輪のこと。

夕月(ゆうづき) 夕方の月のこと。

掩蔽(えんぺい)/星食(せいしょく) 月が恒星や惑星の前を通って隠す現象。

黄昏月 黄昏時に西の空にかかる細い月のこと。

宵月 宵の間に見える月のこと。また宵の間だけ月のある夜のことを宵月夜という。

朧月(おぼろづき) 春の宵などの仄かに霞んだ月のこと。その夜のことを朧夜または朧月夜という。

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