幸せは、どこから来るのでしょう。そうなんです、柚子からもやって来るのです。そのまま絞って料理に使ったり、ゆずぽんにしたり、柚子胡椒にしたり、鍋や柚子風呂に使ったり
我が家には、二本の柚子の木があります。毎日、五個百円で袋に入れて売っています。只でもいいんですが、堂々と持って行っていただくために百円にしました。よく売れます。
そのこころは、「幸せのおすそ分けなんです」
椎茸、しいたっけ?
幸せは、どこから来るのでしょう。そうなんです、柚子からもやって来るのです。そのまま絞って料理に使ったり、ゆずぽんにしたり、柚子胡椒にしたり、鍋や柚子風呂に使ったり
我が家には、二本の柚子の木があります。毎日、五個百円で袋に入れて売っています。只でもいいんですが、堂々と持って行っていただくために百円にしました。よく売れます。
そのこころは、「幸せのおすそ分けなんです」
椎茸、しいたっけ?
「赤い糸」とは、生まれながらにやがて結ばれるであろう男女(男男、女女も)をつないでいる糸。目には見えないが決して切れず、将来必ず結ばれ、添い遂げることが運命づけられている糸である。
しかし、「あなたとの赤い糸を切る」という別れの歌もあったりするが、切れるような糸は「赤い糸」ではない。それは、「黒い糸」とでもいうべきであろう。そして、「絆を切る」ということもよく言われるが、切ろうとしても絶対に切れないのが「絆」である。
赤い糸によってめでたく結ばれた二人。ところが神様は、結んだ赤い糸をいつか必ず切るのだ。どんなに幸せな時間があろうとも、いつか必ず神様は、どちらかの死によって赤い糸を切るのだ。
但し、再び独りになっても、あの時に赤い糸によって結ばれた記憶は、決して色褪せることはない。死ぬまで色鮮やかに心の中で燃え続けることだろう。
ところが最近、一生結婚しない人が増えているらしい。生物学的に結婚できない。経済的に結婚できない。理由は色々あるだろうが、生まれついて赤い糸のない人が増えているらしい。
キチジョウソウ(吉祥草)
掲句は亡くなった人を見送った悲しみの句であろうか。石蕗の花は、寒くなってゆく初冬に咲くゆえに、なんとなく淋しさや悲しさのイメージとつながっているようである。例えば
さびしさの眼の行く方や石蕗の花 蓼太
つはぶきはだんまりの花嫌ひな花 鷹女
病まぬ生より病める生長し石蕗の花 波郷
逆に石蕗の花の黄を明るさと見立てた句もある。例えば
母我をわれ子を思ふ石蕗の花 汀女
賛歌や地に沈金の石蕗の花 夫佐恵
どこへでも行ける明るさ石蕗の花 佐弓
いずれにしても石蕗の花は、キク科の常緑多年草で、関東以南のどこにでもあり、丈夫で庭園にもよく植えられ、格好の俳句の材料である。
鰯雲
先日亡くなった瀬戸内寂聴氏の「人間は人を愛するために生まれてきた。でなければ人生はつまらないでしょ」というような言葉があった。ですから掲句は、寂聴さんのパクリではありますが、敢えて掲載します。又、一遍上人の言葉も言っておられた。一遍上人の言葉は、9年前にもこのブログに載せましたが、再掲載します。
生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り、さすれば、共にはつるなき故なり
念佛の行者は智慧をも愚癡をも捨て、善惡の境界をも捨て、貴賤高下の道理をも捨て、地獄をおそるる心をも捨て、極樂を願ふ心をも捨て、又諸宗の悟をも捨て、一切の事を捨てて申す念佛こそ、彌陀超世の本願に尤もかなひ候へ。
かやうに打ちあげ打ちあげ唱ふれば、佛もなく我もなく、まして此内に兎角の道理もなし。善惡の境界、皆淨土なり。外に求むべからず。厭ふべからず。よろづ生きとし生けるもの、山河草木、吹く風、立つ浪の音までも、念佛ならずといふことなし。(一遍上人)
食用菊
(はつつらら ワクチンうつか うつまいか)
新型コロナのワクチンが開発され、イスラエル、アメリカ、イギリスなど、各国で接種が始まった。日本でも二月末には始まるらしいが、アンケート調査によると、打つかどうかの賛否は、ほぼ半々のようである。
医療従事者、六五歳以上、基礎疾患のある人、一般人の順番らしいが、強制でない限り、私は打つつもりはない。何故なら今回の新型コロナは、
◎例年のインフルエンザと比べて、死者数がほとんど変わらない。又、若年層の死者がいない。
◎高齢者、基礎疾患のある人に死者が多いのは、新型コロナ以外が直接原因である。
◎白人と比べて、アジア人に死者が少ないのは、新型コロナに対する免疫を獲得しているからだ。
◎遺伝子組み換えワクチンは、将来に様々な弊害が出ないことが検証されていない。
さて、この句は、「氷柱」という季語を斡旋したことが成功している。注射を想像させるからだ。
紅梅
つい先日まで、たぶん一ト月余り、ほとんど雨が降りませんでした。お陰で椎茸は小さいまま干し椎茸になってしまったし、堆肥箱に集めた落葉も乾き切っていて堆肥にならない。私の個人的感想ではありますが、雨ごいをしたい気分だったのです。
ですからこの句、山に住む私としては「たっぷりと山並み濡らせ」としていただきたいのですが、都会に住む作者に無理は言えません。「街並み」で結構です。
そして、ようやくこの数日雨が降り始めました。大寒も過ぎ、春がそこまで来ている証拠です。新型コロナに戦々恐々としている私達ですが、そんなことは気にもせず、自然界は春を迎える準備を着々と行っています。梅や万作は咲き出し、蕗の薹も地下で膨らみ始めています。「自粛など糞喰らえ。ウィルスなど糞喰らえ」と野山に出かけましょう。
ウィルスは、低温と低湿度が大好きですから、雨は天敵なのです。ご安心ください、気温が上がり、湿度が上昇すれば、次第に新型ウィルスの感染は縮小していきます。但し、油断は大敵です。
スイセン(水仙)
昨年、Go to トラベル、Go to イートを行ったり止めたりという、無計画で場当たり的な政策をした菅内閣。年明けの今頃になって、遅すぎる新型コロナの緊急事態宣言を出した。どうせ出すなら年末年始の前に、生活を保障する自粛給付金を付けて出すべきだった。従って、国民は保証も無しに自粛を強いる政府に不満を持っているらしく、感染を広げる若者を中心に前回のように素直に従わないようである。
特に、冬季は低温と低湿度のためウイルスの感染力が高まるし、イギリス由来の感染力の強い変種ウイルスが入っているので、これから2月にかけては感染者は減らない、逆に増えると予測されている。糖尿病などの持病があったりする人は、免疫力が低下して重症化しやすいから、感染しないよう特に注意が必要だ。
但し、良いニュースもある。
新型コロナウイルスによる日本の死亡比率は、西洋のおよそ50分の1に過ぎない。
つまり、日本を含むアジア人は、新型コロナウイルスに対する免疫を持っている。
昨年の新型コロナによる感染者、死亡者の数は、毎年のインフルエンザよりも少ない。
(そがのもり せいじょもまいて あつきえん)
青女という架空、虚構の季語からこの句が生まれた。「素娥」は月の女神、「青女」は霜の女神である。月が煌々と照らす森の奥に、様々な女神たち、妖精たち、小人たちが踊り、飲み食い、熱き宴を催しているのだ。
作者は、月の女神を登場させ、宴会を設定し、凍える寒さの宴会を「熱き」と言った。単なる宴会ではない,豪華絢爛たる大宴会を想像させたのだ。
ソウシチョウ(相思鳥)の水浴び宴会
「ひとり芝居」と言えば。渡辺美佐子の「化粧」を思い出す。28年間、648回演じたという。特に驚いたのは、「90分の脚本を一週間で覚えた」と彼女自身が語ったことだ。プロは凄い。
さて、落ちて行く夕日、落日を「落暉(らっき)」ともいう。この句の永久にひとり芝居をしているのは、沈みゆく太陽のことを言っているのだろうが、「ひとり芝居」という人間の行為を選んだのには訳がある。つまり、作者は自身に思いを馳せているからなのだ。全ての人間は、究極生まれてから死ぬまで「ひとり芝居」をしている、と言っているのだ。
人生とは、家庭や社会、自然や地球を舞台として、脚本、演出、演奏、歌、照明、道具係など、全てを作者自身が主演する「ひとり芝居」なのだ。
スイセン(水仙)
翁忌(おきなき)は、松尾芭蕉の亡くなった忌日で、旧暦10月12日(今年は新暦11月26日)。延宝3年に江戸に出て桃青と名乗っていた芭蕉は、日本橋から深川に居を構え、居を芭蕉庵とした。芭蕉の主な著作「野ざらし紀行」「笈の小文」「更科紀行」「奥の細道」は、江戸を発着地としての旅日記である。
元禄を生きた芭蕉の江戸時代と令和2年の現代を生きてスマホをいじる若者達。作者は、渋谷のハチ公の前に屯する若者たちを見て、芭蕉の時代に思いを馳せているのだろうか。目前の喧騒と古池に飛び込む蛙の静寂を比べているのかもしれない。
すっかり冬木立になりました
青女(せいじょ)とは霜・雪を降らせる女神である。やがて美しい霜自体を指して使われるようになった。あらゆる物事を浄化するように見えるほどに、潔い美しさがあることから名付けられたのであろうか。夜明けに青女が初めて地表に降りると、長い冬が始まるのだ。
但し、青女(あおおんな)と読むと困ります。青二才と同じように世慣れぬ未熟な者を指す若い女(青女房)になってしまうので、俳句では前者として用います。
ちなみに、春の女神「佐保姫」秋の女神「龍田姫」ほど有名ではないけれど、夏の女神「筒姫」、冬の女神「黒姫(宇津田姫、白姫)」などもおわします。
青春、朱夏、白秋、玄冬、のように、季節にはそれぞれ色があります。私の想像ですが、青女が青いのは、風がなく、放射冷却現象によって地表が冷やされ、空は青く晴れ渡っているからではないでしょうか。
スイセン(水仙)
(てづくりの なめておどろく ゆずこしょう)
生まれて初めて「柚子胡椒」を作った。柚子ポン酢、柚子味噌は毎年作っているが、柚子胡椒は作らなかった。知人から柚子胡椒をもらったことは何度かあるが、我が家の庭に柚子の木が2本あり、唐辛子も菜園で育てているのに「胡椒」が「青唐辛子」だということを、知らなかったのだ。
自慢じゃないが、人様の3倍は辛いもの好きで、毎年唐辛子を育て、1年中朝の味噌汁にもたっぷり唐辛子を振り掛ける私が、何たることか。呆れて大いにものが言える。柚子胡椒のレシピは、実に簡単
柚子の皮50g、青唐辛子50g、塩20g、柚子の絞り汁1~2個、をミキサーで粉砕するだけ。
侘助(今年は開花が例年より早いようだ)
すき焼きを「松屋」で食べる冬の夜 余白
マック、松屋、共にファーストフードのチェーン店。セブンイレブン、ローソンなどのコンビニ、イオン、西友などの大手スーパーが全国展開して、地方の酒屋、魚屋、八百屋などの小売店が、次々と閉店、倒産の憂き目に遭っている。小売業の大手企業が、全国にチェーン展開し、地方のお金を吸い上げる、増々東京に一極集中し、増々地方の小売業者が疲弊する、という構造が進んでいる。
地方の駅前商店街が、シャッター通りなどと言われるようになって久しい。正に現代を反映している俳句と言える。
最近の私の気分を一言で言うと、「墓穴に片足を入れて生きている」気分です。但し、決して悲観している訳ではありません。却って老境を楽しんでいます。
私の友人の母君は、90才で矍鑠としていて、訪ねると「あなたなんかまだまだ若い。年寄りなんて言えませんよ」なんて言われていますからね。
上には上があるもんだ。
オオアラセイトウ(ムラサキハナナ、ショカツサイ、ハナダイコンとも)
初雪や病院帰りの大ラーメン 海人
師に宛てて一句書き足す賀状かな
指差せば凍星おおと応えけり さくら
おのおのが武装している冬木の芽
マックコーヒー一杯百円冬の朝 余白
すき焼きを「松屋」で食べる冬の夜
大寒や夜明けの三日月天を射る パピルミ
小兵がヒョイと持ち上げ沸く初場所
くっきりと故郷の山冬茜 イヨ
松の青残して静か冬景色
ダイバーの風呂は廃船アロエ咲く 薪
定家葛の種子の睫毛や山眠る
初春や富士丹沢の峰白し 沙会
少しづつ用事が残る冬の暮
池凍るなれど北極溶けている 炎火
はらいせに初カラオケとなりにけり
約束のごと椿咲くお庭かな 鞠
箱根縁七福神に梅香る
梅咲きて人恋しきや眠り窯 洋子
初コーヒー少しこげたるフランスパン
新年の気もひしひしと座禅会 貴美
寒中の不穏な陽気帰り花
約束のごと椿咲くお庭かな 鞠
箱根縁七福神に梅香る
鳥飛翔明治神宮淑気満つ 稱子
隣家売却変わりゆく街去年今年
山雀も群れて加わる雪景色 雲水
本当です犬も炬燵で丸くなる
アロエ