一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

2138  老鶯や今日という日を重ねつつ  洋子

2020年07月03日 | 

    人は、生まれて以来、毎日、今日という日、「今の日」を重ねている。私の生きてきた時間を計算してみた。七十年五か月、二万五千日余りの今日を重ねたことになる。人は、今を生きるという。今を秒で表せば、私は二十二億秒余りの今を重ねたことになる。しかし厳密に数学的にいえば、今という時間は無限にゼロであり、今を生きた時間は無限大である。私たちの命は有限であるが、有限の中に無限が内包されている、ということになる。

炎火さんの句に

 五月雨や点なのかさて線なのか  炎火

という句があったが、時間で言うと、永遠という線の中の点は有限ではあるが、無限でもある。鶯の寿命は、運が良ければ八年、自然界では三~五年だそうだが、人間の寿命と本質的に同じなのだ。 

ガクアジサイ(額紫陽花)

コメント
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