一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

2260  翁逝く春耕の鍬壁に立つ  豊春

2022年03月14日 | 

 ある時、岩戸窯に八十代の妙齢の女性が現れました。「私、三十五才で夫を亡くし、二人の息子を必死で育てました。お陰様で息子たちは、私から独立して家庭を持ち、問題なく立派に生活しております。私もそろそろあの世が近づいております。あの世に行ったとき夫は、こんなおばあさんになってしまった私のことが分かりますでしょうか。」

 初対面の女性から、こう質問された時、私に答える術はありませんでした。初対面の私に、突然こんな大問題を質問するこのおばあさまは、頭がおかしいんじゃないか、と思いましたが、笑い事では済ませられません。

 あれから十数年経ちました。結論は出ていませんが、明らかになったことがいくつかあります。「あの世はあります。天国はありますが、地獄はありません。おばあさまは、ご主人に必ず会えます。二人が一番若かった、結婚した頃の二人になって、会えます。天国で、一番会いたかった人には必ず会えます。勿論ですが、会いたくない人には絶対に会いません。ご安心ください。」私はたぶん、そう答えるでしょう。

ルッコラ

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