私は末っ子だが「末っ子は損」と思ったことがない。それはたぶん4人兄弟の末っ子で、初めての男だったからだろう。又、戦後の物のない時代の田舎に育ったから、我が家も子供たちの家も平等に貧しかった。だから、貧しいとも何とも思わなかった。
昔は下の子が、兄姉の着物や教科書などのお下がりを使うことなどは、どこの家も同じで当然のことだったし、全く不満に思わなかった。しかし、私は随分甘やかされて育ったのではないか、とは思っている。
それにしても、子供の頃の何もない家に、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、電話、自動車などが次第に入って来て、今思えば驚くべきことなのに、当然と思っていた自分が不思議である。
「末っ子は損」というのは、物の溢れだした経済成長時代が産んだ申し子ではないのか。それは、次第に膨張、増幅しているに違いない。
ハナニラ(花韮)
ワタシ(女)は子どもの頃兄(男)の下着(前が開いてる!!)を履かせられたことがあって、それを親戚のおばちゃんたちに笑われて恥ずかしい思いをしたことがあります。でも、下だからイヤだ、と思ったことはないですね。下はそんなものよ、と姪には話しました。^^
とても素直でやさしい子ですが、心の中では葛藤があるんだなと思いました。
「貧しい時代」と言えば、テレビドラマの「おしん」を思い出しますが、「おしん」の時代と比べれば、私の子供時代を貧しいなどとはとても言えません。
人間は、金銭的、物質的に豊かになればなるほど、家族愛・夫婦愛・親子愛・兄弟愛が希薄になり、自己中心的になるようです。
イギリスのEU離脱、トランプの当選など、世界も平和、自由、平等よりも利己主義がのさばり始めています。
第二次世界大戦の反省から、平和を模索してきた人類が、戦争の悲惨さを忘れ、再び元の木阿弥になりそうです。おーこわ。
原因は、たぶん「物質的豊かさ」ではないでしょうか?