JF4CADの運用日誌2.5

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大覚寺・曇華院門跡御朱印巡り

2025-01-06 | 御朱印めぐり
京都古文化保存協会の「第60回京都非公開文化財特別公開」に行ってきました。

京都古文化保存協会の特別公開は2022年10月に職員の運転する車があろうことか東福寺のトイレ(重要文化財)に突っ込んで破壊する事故を起こし東福寺との関係が悪化、以降公開箇所が減少するなどの影響が出ています。

今回は京都市内および周辺で17ヵ所、丹後で11ヵ所と盛り返してきています。このうち京都市内では山科区の阿弥陀寺と元慶寺が初公開です。さらにほとんど公開実績のない右京区の曇華院門跡も公開されます。


回ることのできる日の制約で曇華院門跡に絞って拝観しましょう。周辺で未紹介の大覚寺も合わせて回ってみます。

振り出しはJR嵯峨嵐山駅から。駅の北口から丸太町通りに出ると大覚寺行きのバス停があります。

大覚寺の門前にある駐車場にバスの転回場があります。

大覚寺は876年に淳和天皇の皇后である正子内親王が創建した真言宗大覚寺派の大本山です。この地は嵯峨天皇の離宮があった場所で、1307年に後宇多天皇が出家し法皇となると大覚寺に御所を構えて院政を行い、以後の大覚寺統(南朝)のはじまりとなりますが、後深草上皇の持明院統(北朝)と対立、足利義満の調停が行われるまで対立します。

その後応仁の乱で焼失、復興を果たすのは17世紀前半までかかります。

大覚寺は伽藍のみの拝観か大沢池もセットの拝観かに分かれています。

大沢池まで行かなくてもこんな感じで見ることができます。

大覚寺の御朱印です。拝観受付で御朱印帳を預けると直書きしてくれます。忘れた場合は本堂にあたる五大堂で書き置きをもらうこともできます。


バスで嵯峨嵐山駅に戻り、少し歩くと鹿王院の西隣に曇華院門跡があります。公開実績があるのかさえ分からない程のレアなお寺になります。

1380年に足利義満の祖母にあたる智泉聖通尼が三条東洞院に通玄寺として開いた臨済宗の寺院です。その後1385年に通玄寺の塔頭として曇華庵が創建されます。通玄寺は京都尼五山の三位に列せられますが応仁の乱で焼失、その後曇華庵が通玄寺を吸収する形で曇華院となります。

以降皇女が寺に入り門跡寺院として代をつなぎますが、幕末の1864年に禁門の変からの大火で焼失、仮殿を再建するものの1871年に京都府庁から移転を命じられ現在地に移転しています。現在は旧華族の千種家から住職が入られています。門跡寺院は檀家がないために隣の幼稚園の経営を行っていますがそれだけでは寺の維持が難しく、今回の特別公開に至った模様です。

中は写真撮影禁止でした。源氏物語の貝合せや錦絵などを公開しています。元々皇女の持ち物であったために手の込んだ御物ばかりです。

曇華院門跡の御朱印です。


今回はここまで。
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