旅するガーデナー

いつも五感を刺激し、喜怒哀楽、幸も不幸も、哲学も瞑想も、言葉にできない多くが存在する庭は私のパワー・スポット!

「アフターガーデニング」について考える

2010年12月15日 12時29分46秒 | 庭について考えた事

先日来、新聞や雑誌で「アフターガーデニング」に関する記事を目にしてきた。

ガーデニングしている方の中には「何を今さら}と、感じた方も多いのでは。
私がその一人。

「庭で育てた植物を、花を咲かせた後も楽しむ」なんて、ガーデニングをしていれば当たり前の事。
長女が雑誌の記事を見て、「子供のころ、よくウチでも、こんなことやってたね~」と思い出してくれた。
庭のアイビーやローズマリーなどでリースを作って玄関に飾ったり、コニファーのオーナメントにしたり。
バラの花びらをポプリにしたり、盛りの終わったクリスマスローズの花を生けたり。
ガーデンで楽しめることは色々やってみたし、当時は雑誌などでもよく紹介されていた。

なのに今、新語を作ってまで紹介するのは何故。

思えばガーデニングがブームになってから、植物が消耗品として扱われるようになったと思う。
一年草など安価で手に入るし、業者は新しい品種を次々発表し、メディアはそれを使った華々しいガーデニングをもてはやす。
そうやって購買意欲をそそられた消費者は、まるで花で自身を飾るかのように、庭やベランダで草花木を育てるようになって来た経緯もある。
今まで「ガーデンの美しさ」を誇張するかのように伝えてきたメディアが、花後の生かし方の特集を組んでいる。
エコロジーブームに乗っかってみた、とか
長引く不景気によって、今までの「売らんかな」精神では立ち行かなくなり、再びガーデニングに注目させようと「キャッチーな見出し」に則ってみた、とか

一方で「アフターガーデニング」が注目されるということは、今までその様な事に見向きもしなかった、また気づきもしなかったガーデニング愛好家が多く存在するという事なのだろう。
実際私と子どもの作品を、当時のガーデン友達に、「よくやるわね~。」とか「しみったれてる。」なんて言われて、ガッカリした経験もある。
植物は洋服とは違い、たとえ流行があろうと生き物なのだから、季節が変わったり流行が終わったからといって、ポイ捨てして欲しくない。
盛りを過ぎた後でも、沢山楽しめるのだ。

いずれにせよ、この言葉を機にガーデニングのあり方を見直し、ガーデニングを初めから終わりまで、丸ごと楽しむ機運が高まって欲しい。
そうなれば「アフター」という接頭語もいずれ外れるのではないだろうか。

 冬の花の少ない時期だから取り上げられる話題・・・にだけはなって欲しくないものだ。