例年より二日前倒しの21日より開幕した弘前さくらまつり。
しかし前倒しの甲斐なく、桜はまだ蕾のままです。
弘前というこの田舎町が一番活気に溢れるこの時期、桜の満開時期がちょうどゴールデンウィークと重なることもあり、県内外から毎年200万人の観光客が訪れる。
昨日今日と公園の周りは大型観光バスがちらほらと見受けられたが、やはりまだ桜は蕾。開花予想は22日と発表されるも、まだ咲いていません。低温が続いたのが原因だとか。
いつになったら咲くのやら。祭り期間だけど、花見は出来ない。早く本丸で飲みまくりたいです。
ここで弘前さくらまつりの歴史を振り返る。
正徳5年(1715)、津軽藩士が25本のカスミザクラを京都から取り寄せて城内に植えたのが始まり。
その後明治15年(1882)、旧藩士の菊池循衛が、荒れ果てた城内に見かねて、ソメイヨシノ千本を植樹した。
しかし、神聖な城内での平民の花見許すまじとした一部士族から苗木や枝を折られる被害にあった。その後は被害は沈静化するも、樹は減少の一途をたどった。
そこで、明治34年(1901)、旧藩士の市議会員の提案によって、更に千本のソメイヨシノを植樹。そして市民からの寄付もあって、城内は多くの桜が咲き誇った。
大正5年(1926)から弘前市商工会議所が主催した観桜会が始まる。戦時中は中止されたが、桜愛護会として事実上続いていた。
昭和36年(1961)には弘前さくらまつりと改称し、現在に至ります。
徳川吉宗がソメイヨシノを上野や隅田川に植樹し、庶民に開放したのが現在の花見のはじまりといわれてますが、同時期に弘前でもその動きが広がり、紆余曲折あって今日の日本一の桜の名所になったんですね。
個人的に毎年5回前後は花見に行くので、その際の感想を今後も書いていきたいと思います。
シリーズ弘前さくらまつり、続く。
しかし前倒しの甲斐なく、桜はまだ蕾のままです。
弘前というこの田舎町が一番活気に溢れるこの時期、桜の満開時期がちょうどゴールデンウィークと重なることもあり、県内外から毎年200万人の観光客が訪れる。
昨日今日と公園の周りは大型観光バスがちらほらと見受けられたが、やはりまだ桜は蕾。開花予想は22日と発表されるも、まだ咲いていません。低温が続いたのが原因だとか。
いつになったら咲くのやら。祭り期間だけど、花見は出来ない。早く本丸で飲みまくりたいです。
ここで弘前さくらまつりの歴史を振り返る。
正徳5年(1715)、津軽藩士が25本のカスミザクラを京都から取り寄せて城内に植えたのが始まり。
その後明治15年(1882)、旧藩士の菊池循衛が、荒れ果てた城内に見かねて、ソメイヨシノ千本を植樹した。
しかし、神聖な城内での平民の花見許すまじとした一部士族から苗木や枝を折られる被害にあった。その後は被害は沈静化するも、樹は減少の一途をたどった。
そこで、明治34年(1901)、旧藩士の市議会員の提案によって、更に千本のソメイヨシノを植樹。そして市民からの寄付もあって、城内は多くの桜が咲き誇った。
大正5年(1926)から弘前市商工会議所が主催した観桜会が始まる。戦時中は中止されたが、桜愛護会として事実上続いていた。
昭和36年(1961)には弘前さくらまつりと改称し、現在に至ります。
徳川吉宗がソメイヨシノを上野や隅田川に植樹し、庶民に開放したのが現在の花見のはじまりといわれてますが、同時期に弘前でもその動きが広がり、紆余曲折あって今日の日本一の桜の名所になったんですね。
個人的に毎年5回前後は花見に行くので、その際の感想を今後も書いていきたいと思います。
シリーズ弘前さくらまつり、続く。