初詣に「弘前東照宮」に行ってきました。
初詣は神社に行くのか、寺院に行くのか分かれるところですが、今年は渋いところで弘前東照宮を選んだ。
弘前東照宮といえば、2年前に大きなニュースになったので多くの県民は知ってるかと思う。
私は恥ずかしながらその時のニュースで弘前に東照宮があることを知ったくらいだ。
当時の宮司が、神前婚の為に結婚式場を境内に建設。その時の借金の借り入れ方に問題があり、更に結婚式事業の運営が失敗した為に、宮司は自己破産。担保となっていた本殿以外の建物は全て競売にかけられることとなった。
現在も買い手はついていないと思われる・・・。
そんな悲しい現状の弘前東照宮だが、深い歴史がある。
津軽二代藩主信枚は、徳川家康の養女・満天姫を正室として迎える。
徳川家康が亡くなると、満天姫は弔いの為に、信枚に東照宮を弘前城内に建立するように頼まれ、信枚は幕府に勧請し、元和三年(1617年)に建立。
その後寛永元年(1624年)に現在地に移っている。
現在東照宮は全国各地にあるが、日光以外に建立されたのはこの弘前が一番最初である。
日光は江戸の真北にあたり、その日光の真北に弘前がある(北は聖なる方角とされている)
東照宮が建立される事により、徳川家とのパイプの増強が出来、津軽藩の防衛の為もあって、津軽藩にとっては有り難い事であった。
こんな津軽藩の重要な歴史を背負ったこの弘前東照宮は、金銭の為にあっという間に廃墟同然になってしまうとは、人の欲望は恐ろしいものです・・・。
鳥居を潜るとまず右手に「じょっぱり太鼓」があります。
弘前ねぷたで先頭を切るあのお馴染みの大太鼓です。ここで保管されています。
右手が元社務所と問題の式場跡でしょうか。ここは廃墟です。
そして社殿、奥に本殿があります。
本殿は重要文化財に指定されているほどで、白木造りで、装飾金具を使っておりません。
お参りをしましたが、賽銭箱すらない状態です。
元旦なのに、参拝客は誰も居らず、ここはもう忘れ去られた神社となってしまったのか、悲しい思いになりました。
それでもこの地は廃社になる事もないでしょうし、家康の分霊がちゃんと祀られている訳ですから、この地は「東照宮」として、今後もお参りしていきたいと思います。
住所・弘前市笹森町38
※無人神社です
初詣は神社に行くのか、寺院に行くのか分かれるところですが、今年は渋いところで弘前東照宮を選んだ。
弘前東照宮といえば、2年前に大きなニュースになったので多くの県民は知ってるかと思う。
私は恥ずかしながらその時のニュースで弘前に東照宮があることを知ったくらいだ。
当時の宮司が、神前婚の為に結婚式場を境内に建設。その時の借金の借り入れ方に問題があり、更に結婚式事業の運営が失敗した為に、宮司は自己破産。担保となっていた本殿以外の建物は全て競売にかけられることとなった。
現在も買い手はついていないと思われる・・・。
そんな悲しい現状の弘前東照宮だが、深い歴史がある。
津軽二代藩主信枚は、徳川家康の養女・満天姫を正室として迎える。
徳川家康が亡くなると、満天姫は弔いの為に、信枚に東照宮を弘前城内に建立するように頼まれ、信枚は幕府に勧請し、元和三年(1617年)に建立。
その後寛永元年(1624年)に現在地に移っている。
現在東照宮は全国各地にあるが、日光以外に建立されたのはこの弘前が一番最初である。
日光は江戸の真北にあたり、その日光の真北に弘前がある(北は聖なる方角とされている)
東照宮が建立される事により、徳川家とのパイプの増強が出来、津軽藩の防衛の為もあって、津軽藩にとっては有り難い事であった。
こんな津軽藩の重要な歴史を背負ったこの弘前東照宮は、金銭の為にあっという間に廃墟同然になってしまうとは、人の欲望は恐ろしいものです・・・。
鳥居を潜るとまず右手に「じょっぱり太鼓」があります。
弘前ねぷたで先頭を切るあのお馴染みの大太鼓です。ここで保管されています。
右手が元社務所と問題の式場跡でしょうか。ここは廃墟です。
そして社殿、奥に本殿があります。
本殿は重要文化財に指定されているほどで、白木造りで、装飾金具を使っておりません。
お参りをしましたが、賽銭箱すらない状態です。
元旦なのに、参拝客は誰も居らず、ここはもう忘れ去られた神社となってしまったのか、悲しい思いになりました。
それでもこの地は廃社になる事もないでしょうし、家康の分霊がちゃんと祀られている訳ですから、この地は「東照宮」として、今後もお参りしていきたいと思います。
住所・弘前市笹森町38
※無人神社です