卍の城物語

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津軽一代様巡り(6)~大円寺

2011-01-12 01:39:16 | 神社・仏閣
シリーズ「津軽一代様」巡り。
第六回の「未申」の一代様は大鰐町の「大円寺」です。


ちなみに自分は申年生まれなのでここ大円寺が一代様です。
でも連れてこられた記憶がありませんが・・・。ま、どうでもいい話。


一大温泉街としての大鰐町も今ではあまり活気がないように見受けられる。
それでも自分は温泉好きとしては近場なので結構通っている。

そんな大鰐温泉街の中心地に「大円寺」はある。


まず大円寺の歴史から。

奈良時代、聖武天皇の国分寺建立に際し、本尊大日如来を阿闍羅山の大安国寺に安置したことに始まる。

後に大安国寺は荒廃し、鎌倉時代建久2年(1191年)、阿闍羅山千坊と称された「高伯寺」に移奉される。

慶安3年(1650年)に津軽三代藩主・信義が鷹の病気平癒を祈願したところ病は治り、これを喜んだ信義は、本尊を京都で補修させ、同年に御堂を現在の場所に建立し、高伯寺と本尊を移安。

明治4年(1871年)、神仏分離の際、弘前市から大円寺が移り、高伯寺の名は姿を消すことになる。


二体の仁王像が待ち構える朱色の大きな門を潜ると境内です。

境内には本堂、観音堂、金毘羅大権現、地蔵堂、社務所があります。


本堂には国指定重要文化財の津軽一の古仏「阿弥陀如来坐像」が本尊として祀られています。
金色に輝く大きな坐像は、どうみても阿弥陀如来像です。

でも未・申の守り本尊は「大日如来」ですよ。はて?

この大いなる謎なのだが、諸説あり、胎内仏として阿弥陀如来の胎内に大日如来が納められていたという説が有力だった。
だが近年の調査によって仏像内には何もなかったというのが証明されている。

また、これが現在最も有力であろう説ですが、真言宗では阿弥陀如来を大日如来に見立て、信仰してきたという歴史があると文献に載っていたようです。

大日如来は阿弥陀如来や不動明王に姿を変えるとされていると大円寺の住職も言うように、密教ならではの独自の解釈が形を変えて伝えられているようでした。


境内の観音堂の前には牛の石像があり、門にも牛頭が形取られています。

ここは未・申の一代様なのになぜ牛?はて?

その理由は、京都での修復を終えた阿弥陀如来像を牛が運んだきたので、それを労っての事だそうです。

ちなみに未・申に関するものはほぼ見受けられませんでした。
多分細部まで見渡せばあるかと思いますが、お守りくらいのものしかないのではなかろうか。


さて、本堂での参拝中、とある家族が仏前に座ってました。
そして住職が来られてその後、経を読まれました。
「家内安全~ナンチャラ~」と読んでいたので、家内安全諸々の祈願なのでしょう。

住職が経を読まれている中、そのお婆さんが手を叩いて拝まれていました!!
それも何度も!それはまさに神社参拝の如くです。

お婆さんが礼儀作法を知らなかったのか?
いや、そんな事はなく、実はここ大円寺では手を叩いての参拝が昔から行われているのです。

これは北東北の真言宗の一部の寺院で見られる独特の慣習です。

この参拝慣習は以前から知ってたが、初めて観たので本当に行われているのだと驚きと嬉しさがありました。


以上、大円寺は多くの謎を秘めた寺です。
仏教にちょっとした興味がある自分としては、はっきりいってとても面白い!

阿弥陀如来坐像は名仏であるから、大日如来に見立てて拝みに来るの面白いのではないでしょうか。

      

住所・大鰐町蔵館字村岡12
電話・0172-48-2111

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