新企画!シリーズ「津軽一代様巡り」を敢行!
「津軽一代様」とは藩政時代から続く津軽地方独特の習慣で、自分の生れた年の干支を守り神とした信仰のことである。
現在も子供が生まれた時の初宮参りや、受験や就職等の人生の節目においては、必ず自分の一代様にお参りする習慣が続いているとの事。
大東亜戦争の時も津軽の人達は、これらの御守りを身に付けて出征して行ったと言われる。
津軽地方の人たちにとっては馴染み深い習慣であるが、津軽以外の県内外、中でも青森市にすらこの習慣はないという。
「守り本尊」信仰は全国に知られており、個人レベルで自分の守り本尊のある寺院にお参りするのはあるが、地域全体で文化や習慣としての守り本尊が決定づけられている例はないらしい。
そもそも「守り本尊」とは何か?
人にはそれぞれ一生一代の守り本尊があるといわれており、それぞれの干支に基づきご本尊が配され、それを信仰の対象としている。
各人の生まれ年の干支によって守護してくれる仏さまが定まっているという信仰が「 守り本尊」である。
子=千手観音菩薩、丑寅=虚空蔵菩薩、卯=文珠菩薩、辰巳=普賢菩薩、午=勢至菩薩、未申 =大日如来、酉=不動明王、戌亥=八幡大菩薩となっている。
津軽一代様は、守り本尊によって神社仏閣が決定付けられている。
なので今回、津軽一代様を干支順に廻ってみようと思う。
まず「子」である。
子の守り本尊は千手観音菩薩で、一代様は弘前市東目屋地区にある「多賀神社」、通称「清水観音」である。
場所は、弘前方面から岩木川沿いの県道28号線を西目屋方面へ走らせる。
桜庭地区に入ると右手にサークルKがあるので、そこから500mほど進むと看板があるので右折し、50mほど小道を進むと左手にあります。
ここは「津軽観音巡礼」の二番札所なので訪れた事があります。
「清水観音」の名は、旧観音堂が京都の「清水寺」を模して造られたという事もあり、そして旧観音堂の傍から湧き水が流れているので、清水観音と呼ばれている。
その湧き水の引き水が、まず鳥居を潜ると左に設置されており、お清めの水場としてもそうだが、飲み水として汲みに来る人が多い。
その近くには地蔵堂がある。
少し進むと「遥拝殿」があり、ここは本殿まで登れない人の為に設置されているようだ。
ここから石段を登りますが、本殿まではかなりの急勾配もあり、簡単には辿り着けません。
特に雪道は危険極まりないです。
入り口から3分ほどかけて登ると本殿がやっと見えてきます。
別名「岩屋観音」と称されるだけあり、岩窟に添った形で本殿があります。
ここには千手観音菩薩像が祀られていたのだが、明治の神仏分離令により、弘前市茂森の陽光院に本尊を匿った。
なのでここには千手観音菩薩像はない。
津軽観音霊場に於いても、ここには本尊がないにも拘らず、歴史的・建造物的にもここは神聖な場所であるので、今尚地元に愛されている。
「津軽一代様」とは藩政時代から続く津軽地方独特の習慣で、自分の生れた年の干支を守り神とした信仰のことである。
現在も子供が生まれた時の初宮参りや、受験や就職等の人生の節目においては、必ず自分の一代様にお参りする習慣が続いているとの事。
大東亜戦争の時も津軽の人達は、これらの御守りを身に付けて出征して行ったと言われる。
津軽地方の人たちにとっては馴染み深い習慣であるが、津軽以外の県内外、中でも青森市にすらこの習慣はないという。
「守り本尊」信仰は全国に知られており、個人レベルで自分の守り本尊のある寺院にお参りするのはあるが、地域全体で文化や習慣としての守り本尊が決定づけられている例はないらしい。
そもそも「守り本尊」とは何か?
人にはそれぞれ一生一代の守り本尊があるといわれており、それぞれの干支に基づきご本尊が配され、それを信仰の対象としている。
各人の生まれ年の干支によって守護してくれる仏さまが定まっているという信仰が「 守り本尊」である。
子=千手観音菩薩、丑寅=虚空蔵菩薩、卯=文珠菩薩、辰巳=普賢菩薩、午=勢至菩薩、未申 =大日如来、酉=不動明王、戌亥=八幡大菩薩となっている。
津軽一代様は、守り本尊によって神社仏閣が決定付けられている。
なので今回、津軽一代様を干支順に廻ってみようと思う。
まず「子」である。
子の守り本尊は千手観音菩薩で、一代様は弘前市東目屋地区にある「多賀神社」、通称「清水観音」である。
場所は、弘前方面から岩木川沿いの県道28号線を西目屋方面へ走らせる。
桜庭地区に入ると右手にサークルKがあるので、そこから500mほど進むと看板があるので右折し、50mほど小道を進むと左手にあります。
ここは「津軽観音巡礼」の二番札所なので訪れた事があります。
「清水観音」の名は、旧観音堂が京都の「清水寺」を模して造られたという事もあり、そして旧観音堂の傍から湧き水が流れているので、清水観音と呼ばれている。
その湧き水の引き水が、まず鳥居を潜ると左に設置されており、お清めの水場としてもそうだが、飲み水として汲みに来る人が多い。
その近くには地蔵堂がある。
少し進むと「遥拝殿」があり、ここは本殿まで登れない人の為に設置されているようだ。
ここから石段を登りますが、本殿まではかなりの急勾配もあり、簡単には辿り着けません。
特に雪道は危険極まりないです。
入り口から3分ほどかけて登ると本殿がやっと見えてきます。
別名「岩屋観音」と称されるだけあり、岩窟に添った形で本殿があります。
ここには千手観音菩薩像が祀られていたのだが、明治の神仏分離令により、弘前市茂森の陽光院に本尊を匿った。
なのでここには千手観音菩薩像はない。
津軽観音霊場に於いても、ここには本尊がないにも拘らず、歴史的・建造物的にもここは神聖な場所であるので、今尚地元に愛されている。