紙の切り傷はチクチク痛む。この年になるとなかなか傷は治らない。
父の顔をみると祖父は思いついたようにちくちくと言うのでした。
父も初めの頃は神妙な顔をして黙っていましたが、この頃になるともういい加減にしてくれという文句など口に上るようになりました。
「そんな態度なんだ、兄さん達によく言って置こう。」
流石にこう言われると父も目頭を赤くして小さくなってしまうのでした。
実際、祖父は誰かに電話してこんな事を話していました。
「いやね、その時あれが本を引っ張るものだから、紙の先で指が切れてね。‥
そう、丁度親切の載っているページでね、親指が丁度親切の文字に載っていて、…
本当だよ、親切に切られてね、子どもが親を切ったんだよ、紙でね、‥
本だよ、辞書の、‥固い紙でね、スパっと、あれが本を引くから、わざとかねぇ。‥。」
「やあ、私、元気、実はね…」「久しいね、…」「…」…
祖父が長く電話の前にいたと思ったら、次は父が、
「いや、そんな、わざとの事なかろ…、心外だな…、分かった、謝るよ…」
「…、◯さんにまで、電話したの?…」「…」…
半日程電話の前に、 どころか父は2、3日は電話口にへばり付いていたのでした。
「は、電話に懲りたの。」
一週間後、ガチャンと受話器を置くと父はそう言ったものでした。
外遊びから帰って来た私は何事かと父の顔を見つめました。視線に気付いた父は
「電話に懲りた、電話に懲りた、懲りた懲りた、電話に懲りた、電話にやぞ、懲りたのは。」
私の顔を見てそう言うと、お帰りも言わずに一人玄関に私を残し奥へと入って行きました。
私は電話を見つめました。
それまでは、ごくたまにしか使われていなかった物です。しかも短時間しか大人が側にいませんでした。話をする様子は確かに見たことがあります。
でも、皆私に気付くとじゃあと言って受話器を隠すように持ち、それと無く私をやり過ごし、そのまま受話器を切ったり、ぽそぽそ話しを続けたりしていました。
それで時には私も電話の側まで行って眺めたり、受話器を撫でたりしたものですが、置物の一つという感覚でした。
それがこの一週間程の間にフル活用のように使われていたこと、今の父の言動から俄然私には興味の対象となりました。
私は電話のそばに寄ると受話器を手に取り大人の真似をしてダイヤルを回すのでした。
ああ、まだいたの、本当によく切れるねあの辞書。私もやってみたけど、実験だよ、母さに付き合ってもらってね、本当に指が切れて怒って帰ったから宜しくね。じゃあ。がちゃん。
あれ、置物じゃないみたい。私は黒い電話というものを、さも不思議そうに眺めて見たことでした。
その夕方、昼寝から覚めて父と顔をあわせると頬に掻き傷のミミズ腫れが数本、赤く転々と綺麗に並んでいました。
お父さん、猫に顔を引っ掻かれたの?
私は以前、猫に手の甲を引っ掻かれたことがありました。その時の傷と同じでした。いや、それより大きい傷かなと父の顔を見て思った事でした。