Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

相殺

2016-08-24 10:16:11 | 日記

 「こんな食事、私達は子供に食べさせたことがない。」

食事時に祖母が言うので、そういえばここ何日か味気ない食事だと私も感じていたと合点するのです。

今日の御前はめざしとみそ汁。しかも私のお皿には尾頭付きの一匹だけ。

如何してこんな事になったのでしょうか。

思い返してみると、何日か前外出から帰った父は、祖母に「母さん兄さんからお土産、爪切り」と爪切りを渡し、祖父には先月の電話代だと言って紙を渡しました。

その金額はほとんど全額祖父が使ったものだと父は主張すると、これからは収入に見合った生活をする、収入に対して出費が多すぎるから、採算がとれるまで食費で相殺する。そんな事を言っていたようでした。

それでこうなったのですが、如何にもの、あからさまの貧しい食事に祖父から祖母経由で文句が出たのでしょう。

「私達はいいから、子供にはもっと良いものを食べさせてやったら。」

という祖母の言葉に、私は明日からの食事に期待するのでした。

 しかし、翌日になっても、その次の日になっても私のお皿の上はめざしでした。いえいえ時にはコロッケの時も確かにありました。

この頃の食事を思い出すと、コロッケかめざしの鰯しか頭に浮かびません。父の「一汁一菜」の言葉が合言葉のように脳裏に響きます。

その後、献立らしい献立が食卓に上ったのは、父が会社勤めをはじめた頃からです。

我が家の食事がバラエティに富んだメニューに変わって行くのはまだまだ先の話です。

父は当時、家業の商売をしていました。

 祖父は丁稚奉公から初めた人で、暖簾分けの後一代で財を築き上げ、当時の一等地であるこの一角へ入った人でした。父の小さい頃は丁稚も何人かいたそうです。

しかし私の物心つく頃には大晦日の大掃除も家族総出、使用人など雇う余裕も無かったようでした。

父のいうような、祖父の儲けた財を相殺する出費、膨大な支出として何があったのでしょう。私が聞かずにいる内に父は既に他界してしまいました。祖父はとうにいません。

 「お前の分まで無いのう。」

小学生の頃の祖父の言葉です。溜息交じりに心もとない笑顔で、本を読む私を見ながら祖父は我知らずのうちに口から漏らしたのでしょう。

「お前の分まで無いのう。」