そして一呼吸置いて、ご主人は、これはまたと、呆れ顔になった。
「これはまた、越路さんも、孫になると手抜きだねぇ。」
そんな事を小馬鹿にしたように言うと、彼はぷっと吹き出した。「お前さん、そうだろう。」と、奥さんもぷっと吹き出し、パンも知らなかったんだよこの子は、食べさせてないんだねと、彼女はせせら笑いをした。
「それはそれは、流行り物を取り入れて無いとはねぇ。」
ご主人の言葉は流暢だ。「そんな事で商売の勘が養えるのかねぇ。」「将来の跡取りがそんな事ではねぇ。」越路屋さんの将来も危ないなぁと、彼は最後に嘆息気味に言うと、如何にも気の毒そうに顔を伏せた。
「如何したんだかねぇ。」
奥さんがご主人の後を引き継ぐように話し出した。
「あすこの奥さんも、昔は自分の子供達にはと、一早くに流行り物を求めては買い与えていたものさね。金に糸目も何も無しだったがねぇ。…この子には如何したんだろうねぇ。」
うーむ、なぁと、ご主人も奥さんの話に相槌を打つ。
「はてさて、何か変化があったのかなぁ。」
そう言ったご主人に、変化って?と奥さんが如何にも不思議そうな顔付で問い返した。
「これはなぁ、大きな声では言えないがなぁ。」
と、ご主人。そろそろかもしれないなぁ。そろそろって言うと、お前さん。ご主人と奥さんの遣り取りは続く。
私はこの目の前の老夫婦の、芝居っ気たっぷりの遣り取りを只ぽかんと口を開けて眺めていた。彼等の話す各々の言葉の意味は分かったが、その話の意味する所、話の意図がさっぱり汲み取れない。彼等は私にどうしろと言うのだろうか?、私は如何したらよいのだろうか?と、店先に立ったまま、私は立往生していた。
そして、私はこれ迄に気付いた事柄、印象に残った事柄について考えてみた。この目の前のご夫婦の会話の流弁さは見事だった。私は暮れに見せてもらった商店の餅つきの2人を思い出した。彼等はあの2人に似ていると思った。
「仲が良くないとああは出来ないんだ。」
仲良しなんだな、あの2人。そうにこやかにしたり顔で父が口にしていた言葉を思い出す。私はピンときた。そうだ、この2人は餅つきの相方だ。その様に受け答えし、掛け合いをしていた。真に素早く流麗だ。会話の妙だと思った。
感心した私は、にこやかで仲の良いお年寄夫婦なんだなぁと彼等に微笑んだ。家の祖父母同様、このお店のお年寄夫婦も極めて仲良しなのだ。そう考えて来ると私は彼等の事が微笑ましくなった。仲良き事は美しき哉である。私は朝から美しい物を見たのだと清々しい気分になった。
「仲良き事は美しき哉。だね。」
私が父から教わった言葉だ。その言葉を言って、私は仲良しご夫婦から同意を求める様に笑いかけた。大人は皆この言葉を知っているのだと思っていた。
しかし、御夫婦は言葉も無く4つの目を向け、きょとんとした顔で私を見詰めて来た。私は彼等からの愛想のよい返事を待っていたが、2人はしんとした儘で、動きも然程無く、その場は水を打ったような静けさになった。