そこで私は朝の散歩を再開した。祖母の言葉があったが、家を出た時、少々気乗りしていなかったのは確かだった。それでも何時もの朝の散歩コースに足を向けた。
私が今朝の1番に会ったこのおばさんは、おいでおいでと親し気に私の背に手を回し、自分のお店の中へと私を招き入れた。これは初めての事じゃ無いかなと私は思った。祖母と2人の時なら話は別だが、私1人では所謂洟も引っ掛けて貰えなかったおばさんだ。
家の中に入ると、彼女は相変わらず親しみのある笑顔を私に向けていたが、
「コッペパンを食べるかい?。」
と訊いて来た。確かに傍らにはガラスのパンケースがあった。が、何となく取って付けたような物の言い回しだなと感じられた。何だろう?、私には不思議な感じがした。大体、私はパン等という物をまだ知らなかった。その上こっぺが付いているのだ。
「こっぺ?」
と耳慣れない言葉に不思議そうに聞き返した。
「コッペパンだよ。パン。」
ぱん?何の事だろうと、判じられず怪訝な顔をする私に、おやと奥さんは妙な顔をした。
「パンを知らないのかい?。」
これはまた、如何いう事なんだろうと、私は彼女に奇妙に思われたらしい。奥さんはさも馬鹿にした様な顔付になった。が、私はこの侮蔑した顔付についても未だ知らなかった。妙な感じを受ける顔だなと思っただけだ。
そんな合点のいかない半ば呆然と佇んでいる私を余所に、おばさんは、「まあ余所さんの子だからね、いいけどね。」と、呟くと、ゆるりと私の後ろへ回り、パンのケースの後方へと玄関を回り込んで行った。彼女は私とパンケースを挟んでそのケースの向こう側へと到着すると、かたんとケースの扉を開いた。
ああ、そういう仕組みになっているのかと、私はパンケースの仕様と、おばさんの今の半円運動の動きの意味を理解した。扉を開いたおばさんは、どれと物色していたが、彼女の手にパンを2個取り出した。そうしてそれを手に、私が予想した元の通りに私の元へと戻ると言う動きをせず、そのままケースの向こうの玄関に履き物を脱ぐと、よいせとこの家の高い敷居の上へと上がった。彼女はその儘家の中へと進み、こちらに戻る様にして私の目の前にある帳場らしい場所へとやって来た。
私の目前には、店の前に張り出した煙草ケースと同様に、煙草を並べた年代物らしいガラスの陳列棚が有った。こちらの方が店前の物より古く小作りに感じた。今しもおばさんが座った帳場の前にこの店内の煙草棚は有った。張り出しケースにしろ店内の棚にしろ、このおばさが座っている位置から商品を取り出し客に手渡しするようになっている様子だ。この事に私は気付いた。
よく出来ているお店だと私は感心した。帳場の位置に座っているだけでこの店の商いが出来るのだ。へぇえと思った。私はよく外遊びに出る様になったこの頃、事、知恵や工夫を感じさせるものが大好きだった。また、とても興味深かった。目を輝かせて目前に据えられた煙草棚や張り出しケースに目を配ると、横にあるパンケースと、ケースの中に有るパンをしげしげと観察した。