梅雨空に思う 5
そして、この事が私の人生において遠い過去の出来事になるだけに、私は何時しかこの出来事を忘れてしまいました。約束という言葉について纏わる私の決心についての経緯や、その時抱いた感情も......
「今日の思い出を振り返ってみる」は、これです。一寸しつこいかなという気もしないでは無いのですが、先日の記事で事足りているとは思いますが、昨年の記事とも関連するので、念の為もう1度今年のここに書いておきます。
一昨年の暮れより、私は何だか妙な焦燥感を感じていました。最初は原因不明でしたが、年が明けて1999年と思っても、私にはピンと来る物や差し迫った物が何も思い浮かば無い状態でしたから、体調が悪いのかもしれないと思っていました。
が、ふと、来年が2020年と思うと、もしかするとと思う事がありました。しかし、あれはまだ当分先の事だと思うと、昔の記憶を辿りつつ、合点が行かない焦燥感や胸騒ぎを覚えたものです。その為でしょう、昨年の今頃、垂れこめた雨雲や物憂い雰囲気に誘われるように、この「梅雨空に思う」を書き始めたものです。
当時は、まだ先の事を、その時になってみないと分からない、しかし『如何でもいいな、気分任せ』と感じたものです。私にすると、歳を降った分可なりいい加減な気分になっていた訳です。唯、約束は約束で確かにしたなぁと思うと、それを果たさないというのは悪いだろうなと、一寸罪悪感が有りました。これも確かです。それでも、私にとっては気の進まない約束だったというのは明らな事でした。
今年になって、そう言えば確か今年(私の計算では)、あの後最初の約束を無しにするという申し出の条件があったなと、その事を思い出しました。今年の反古、それは無しにするという条件を思い出した訳です。
新年、新型コロナ騒ぎが始まってから少しして、この条件を思い出した私は、それでも、思い立てば提示されていた条件は満たせるだろうと考えていました。思い立てばですが。
が、今になると全くそれは無理、現実的にとても無理、物質的に(というべきなんでしょうね)不可能になりました。それが現時点でもう分かります。そうすると、自然と第2の約束は不履行になり第1の約束も無かった事になると思い至りました。成る程ね。
そこで、そうだなと私も思う所、、それで私も良いなと同意。考えてみればと、後の条件を提示してもらった事を感謝しました。何しろ、最初の約束が私に取って不本意な物だったので、長期に時間を空けた訳です。
気付かれていたのか、と、苦笑いしますが、私にするとここはやはり感謝です。ここに書かなくても、どのみち向こうにも分かります。当時私がそれについては考えてみますと言い置いた事、こちらでもはっきりと同意しなかった事が、そうですね、確かに今年はっきりと決着がつく訳です。
確かにそうです、今年が結論の出る年でしたね。早々とですが、「無かった事に」に、私も同意します。