あなた、あなた、確り。そう言葉に出しながら、母は四つん這いで俯く父の肩に手を当てていた。母は父の顔を横から覗き込むようにして気遣っている様子だ。
またかと私は思った。その時も私はやはり階上から階下へ降りる途中だった。階下の2人を一目見るなり『またお父さんとお祖母ちゃんが…、』と、私は思い、その瞬間ふいっと意識に上る物が有り、おやっ?と感じた。そこで私は階段下の部屋にいる2人を改めて見直してみた。何時もの様にこの部屋で、2人の人間が高低の配置でいる姿を認めた時、私は立っている人物は祖母だとばかり思い込んでいたのだ。それが、目にしたのが私の母の姿だと自分の脳が意識した事で、私は一瞬祖母と母を見間違えたのかとハッとした思いだった。それで再び目を見開くと、その場に立つ人物の顔を見直してみたのだ。
『お母さんだ!。』
それは見まがう事無く母の顔、洋装の母の姿であった。私の目は確かだったのだ。そう確認しながら、次の瞬間、私の思い込みで一瞬またもや祖母の顔が私の瞼にちらちらと明滅したりした。が、やはり目に入るその顔をよくよく見て取ると、そこには祖母の顔の幻は跡形も無く消え去り、それは母の顔、母の姿の儘になった。
その後私はごしごしと手で目を擦ってまで見たが、その姿は相変わらず私の母、父の妻である女性の儘で定着した。そしてその女性は畳に手と膝を着く私の父の傍らに相変わらず立っていた。
私は何時もと人の勝手が違うこの部屋の様子に、階下に降りた物かどうかと躊躇した。しかし、用があるからここ迄階段を下りて来たのだ。所用は足さなければならない。私はこう決意するとそのまま木製の階段を下って畳に足を着けた。
私が人の組み合わせの相違を不思議そうに眺め、次に母の顔を見上げると、母は黙って私の目から自分の目を逸らした。彼女はその儘身動き等しなかった。私はこの時、何時もの様に何だいなどと彼女から何も言われなかった事も不思議に感じたが、自分の用を思い出すと、兎に角階下へ降りた目的の為に台所へ行こうと思い直した。うん、頷いた私はこの部屋をその儘突っ切る事を決意した。
徐に部屋を突き進む私に、彼等の傍らを通り過ぎようとした時母が何だいと仏頂面で言葉を掛けて来たが、私は特に何かしら愛想をする言葉も浮かばずに2人の横にいた。何より私は先を急いでいたのだ。。それで何もと言うと、後ろも見ないでそそくさと彼等の横を通り過ぎた。直後、私は後ろでふんという様な母の声を聞いた気もするが、この時の両親の事情など私には皆目分からなかったし、そんな事に気を回す余裕も私には無かった。私は兎にも角にも先を急いでいた。目的地は遠く、目指す台所のそのまた先に有ったのだから。