Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

傘の思い出2

2018-01-29 09:05:24 | 日記

 思春期の女同士の友情はこの様に脆くも崩れ去ったかに見えました。が、異性に向かう活発な波が去った後、私達はまた元の鞘に収まり仲良しグループとして復活していました。まあいいじゃないかという訳です。こんな点は女同士単純と言えば単純、許容性があると言えば許容性がある女友達なのでした。

 この波の中にあったある日の事です。私は私と同じように過去に異性とトラブルが有り、男女交際に積極的ではない1人の友人(可なり後にその話を知りました)に気が付きました。彼女の方も私が皆と同じ男女交際の波の中にいるのだと思っていたそうでした。そしてケロッとしている分私にはもう既に特定の彼がいるのだと思っていたのでした。その日、何時もの登校時の事、常の事なら友人グループが皆乗っている電車の車両で、彼女と私の2人だけの顔ぶれとなりました。てっきり1人だけになると思って乗り込んだ電車の中で、私は車内の何時もの場所に彼女の顔を1人認めると心底意外でした。

 「あれ?どうしたの?私1人だけだと思った。」という具合です。彼女もそう思って電車に乗っていたという事でした。彼女にしても同じような状態で何時もの仲良しの連れが消えたようでした。話す内にお互い彼氏はいない事、そして、私の場合、加えて友達が新しい友人を作り、私は下校時も1人になったのだという身の上話をすると、「友達=女友達」という私の誤解に彼女は薄々気付いたようでした。

 その時の彼女はしんみりとして孤独そうでした。私の方はもう1人になってしまったとあっけらかん、その頃には気持ちの整理がついてしまっていました。こうなってしまったものは仕様が無い、私だってその内新しい友達を見つけるわと気丈に卒業後の未来に希望を託すことにしました。その朝も歩いているホームの霞んでいる先を目に、現在より先の未だ見ぬ未来で出会う人に期待すればいいと、孤独に萎えそうな気持ちを切り替えていました。

 そうやって乗り込んだ車内です、思いがけずそこに友人グループの彼女がいたのは嬉しい驚きでした。私は彼女を目の前に孤独の先輩然としていました。そして、この時同病相憐れむの2人が共感したのは確かなようでした。それで以降、この友達との友情はかなり確実なものでした。私はこの友人については自身の気持ちを理解してもらえるのではないかと期待してしまいます。現在もそうですが、無理はしない事にしています。何故なら、「結婚したら…」の言葉は彼女の言葉だったからでした。

 思えば世事に疎くのんびり屋の私はやはり友人には迷惑な存在なのかもしれません。おっとりしているとよく言われましたが、それは褒め言葉ではなく欠点を評されているのかもしれません。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿