夕刻にほど近いと感じる春の太陽は、日中より威力が衰えたように見えました。それでもまだ位置は空色の宙に浮かんでいて形は丸く見えていました。その光も目に収め切れるようでいて、収め切れない輝きをまだ発して来る眩しさのままでいました。いえ、私が見詰め始めた時よりいっそう白さが増したようでした。勢いを取り戻したように白金に輝き始めた太陽から目をそらして、私は太陽の眩しさやその光に触れた時の暖かさに付いて考え始めました。
それまで、大人から太陽は人の目に悪いから見詰めてはいけないと聞いていました。しかし、と今回私は思いました。目を射る眩しさは確かに人の目に悪いけれど、その明るさや暖かさは人に必要なものじゃないかな。太陽は人には大事なものじゃないかな。お日様が人にとっては必要だという、そういう事が酷寒の冬を何度か越して春の季節の中に居る私には分かって来ました。
『自分にとっても太陽は目に悪い。それでも太陽はありがたい物だ。』
特に寒がりの私にはそうだ。そう判断すると、自分が沈んでいた時に明るく顔を出してくれた太陽が、まるで私の為に出て来てくれたような気がするのでした。最初は酷く眩しくて嫌いだったけれど、お日様は私に味方してくれたんだわ。そう私は誇らしく思うと同時に、益々太陽が好きになるのでした。ふっと笑顔になると「私の太陽。」とお日様に話し掛け手を振るのでした。
さて、時間は少し戻って、先刻振り返った年上の従姉妹の方です。急に日差しを浴びてその眩しさに右往左往する自分の従妹の様子に、太陽の事には全く気付かず何事が始まったのだろうと思いました。一瞬笑顔になり、その後しかめっ面をしたり、手や顔を振り回す従妹の滑稽な仕草。彼女は従妹が何をはしゃいでいるのだろうと呆気に取られて見ていましたが、その内、さも子猿か何かがきゃっきゃとはしゃぎ回っているようだと、はははと、可笑しくて声に出して笑って仕舞いました。
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