さて、中2の夏休みに入りました。
今回はキャンプではなく、山の中学校を借りての夏合宿という感じでした。
(だと思うのですが、記憶は曖昧です。海辺の青年の家だったかもしれませんが中2と中3での記憶があやふやなので、間違っていたらごめんなさい。)
父は生前キャンプなどする事が無く、屋外でのバーベキューなども殆どした事が無く、アウトドアとは無縁の人でした。
パチンコやゲームセンターなどの遊行場にも出入りする事が無く、賭け事などもし無いという、全く無趣味な人でした。
日曜大工さえしませんでしたね。
今から思うと、唯一父の趣味と言えば財テクだったのかもしれません。あらゆる銀行の貯金の利率を調べては、せっせと預金していました。
その内、株にも興味を持って、後年は証券会社にも出入りするようになっていました。
何とか儲けが出ないかと投資にも興味を持っていたようです。
ですから、私が中学になっても倹約、質素の生活態度に変わりはありませんでした。
祖父が亡くなってからは、1人分の費用の心配が無くなったのか少々贅沢にはなりましたが、
根本的にはあまり変わりない生活でした。
中2の頃の大きな変化の1つは、家にカラーテレビが来た事です。
白黒の世界から色のついたテレビへの切り替わりは相当の影響力がありました。
私は全くのところ、カラーテレビに夢中になってしまいました。
学校でも成績が落ちて来たと言われ、家で何か変化がありましたか?と、担任の先生から質問があったという事です。
カラーテレビを買ってもらって、テレビばかり見ています。
多分、こう母が答えたようです。
この大事な時期にいけませんね、と先生に言われたそうです。
そんなカラーテレビを買ってやる親が悪い、と言われたようです。
母の話では、大抵の物事が正確に伝わらないので、今回も白黒テレビが壊れたので買い換えた事や、
テレビが今の時代に即したカラーテレビになっただけだ、という事が伝わらなかったようです。
白黒からカラーへと切り替えたのだとしか思えない話し方だったと思われます。
私も学校での面談時に、カラーテレビばかり見ているそうだね、いけないね、と担任の先生に注意される事になりました。
家には白黒テレビが壊れてもう無いので、買い替えたカラーテレビを見るしかないんです。というと、
漸く先生にも事情が通じたようでした。驚いておられました。
今、漸く家全体で家族が見るカラーテレビが1台家に入ったのだという事も、先生の驚きの1原因だったようです。
もし家に他のテレビがあったとしても、あの時期に白黒テレビを買うのはやはり時代遅れだった気がします。
実際、今現在、白黒テレビが普及しているかというと、全然ですよね。
時代の流れに竿を差して、時流に乗って、時代に逆行する事をしなかった、
そうするとカラーテレビだったわけです。家に1台だけのカラーテレビです。
白黒の世界からカラーの世界へ、大きな視覚の転換でした。
さて、面談時に先生と話をして気付きましたが、
私はそれまで古い白黒テレビを自分専用に自室に持っていて、今回カラーテレビが良いとおねだりして買い替えてもらった、
そういう風に先生は解釈しておられたようでした。
そうか、家はすごく贅沢な家だと思われているのだな。
と、私は認識を新たにしました。
1年の時にも、転校問題でお世話になった時、
「転校転校と言われる割には、休まれることもないし。」
と、意地悪されて嫌だという割には休まず平気で学校に来ているから、本当はダメージがそれほど酷くなく、
私の我がままであれこれ言っているのだと思われていたようでした。
塾や、問題集や、参考書無しで、学校の授業だけが学習という私の勉強スタイルは、
小学校から引き続き中学でもそういう物なのだと思っていました。(大抵の人も皆そうだと思っていたのです。)
私にとって学校を休むという事は、中1の時点では論外の出来事でした。思いも寄らなかったといってもよいでしょう。
そうか、あの時何故休まないのかと聞かれたのは、家の方で、塾でも参考書や問題集でも、
家庭教師にでも贅沢に習っていたからだと思われていたのだ。
漸く2年になって世間というか、学校というか、担任の先生の私や家に対してのイメージや認識が、
現実の事実と全く違うという事を理解するのでした。
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