ここで私が蝶に順位を付けたのはやはり父の影響でしょう。当時の世相だったのかもしれません。可なり後になる私の学校時代に、現代は競争社会だとよく言われていたものです。
その様な訳で、私はあれが1番これが2番というような優位の順位をこれらの蝶につけたのでした。1番アゲハ蝶、2番モンキチョウ、そして3番モンシロチョウでした。この年は素手で蝶を捕まえるという事を教えられ、父や近所の年嵩の子の真似をして蝶の捕獲を試みたりもしたものです。
「網が無くても、こんな蝶は手でも捕まえられるよ。」
ある日、モンキチョウを捕まえた子で私がこの蝶を好んでいる事を知っていた子が、この蝶を私に手渡しでくれる時にそう言ったものです。
当時のこの地方のモンシロチョウ等は、子供にさえ侮られるような頭数の多さと緩慢な動きを持つ蝶でした。しかし、まだこの下等な部類の蝶の動きにさえついていけない私には、これは相当な驚きの言葉であったというものです。飛べる蝶を、地に足を付けたままの人が手で捕まえる事が出来るというのです。『ほんとかしら?』私は真実の是非を怪しみながら、何度か自分の素手で蝶の捕獲を試みてみました。勿論私では、近付く以前に蝶達は飛び立って行ってしまいます。するとそれと知って、捕獲出来る事を教えてくれた子が私の目の前で実演して素手で蝶を捕まえてくれました。ここで、捕獲場面を実際に見た私はラッキーでした。モンシロチョウをこの年の内に素手で捕まえる事が有るようになりました。
その年の私の行動、ひらひら宙を舞う蝶を見て、全く無理だと分かりながらやってみようという決心と思い切り、挑戦、粘り強い何度かの試み、自然物をよく見て花の上の蝶を探すと言う様に、物をよく見て捜し見極める内に、私はこの年に相当な視覚や四肢の感覚の発達、五感の発達を戸外で培ったと言えるでしょう。
私が初めて蝶の羽を自分の手で掴んだ瞬間、それは何度かの失敗の経験の後の、自分自身思いも掛けない出来事になり、意外で嬉しい驚きでした。その時、飛び立たなかった蝶の影に、あれっと、指の間を覗くと、きちんと私の指の間に白い羽が収まっていたのです。やった!と思い、信じられずポカンとした一瞬の後、身の震えるような感覚と緊張に襲われました。ドキドキと心臓が早鐘を打つような身体の状態に自分自身ぐっと耐えていました。遂に此処まで来たんだと、顔の強張る緊張で蝶を掴む感覚の無くなった指を自覚すると、思わずしみじみと生まれて初めての困難を克服した時の自分の状態に感銘を受けた物でした。
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