紫苑さんは至って気分よくご機嫌でした。昔懐かしい銭湯の雰囲気、懐かしい牛乳瓶、ミニチュアのレトロな昭和、大正時代の懐かしい感覚の中にいて、牛乳瓶から味わうりんごジュースの澄んだ琥珀色の液体を堪能してしました。
『懐かしいなぁ、昔ながらの味、思い出の中の記憶に残る味と同じだ。』
紫苑さんが円萬さんに勧められて、風呂上りに冷蔵庫の中から選んだのはりんごジュースでした。彼がこの透明なりんごシュースに釣られたのは、昔母と銭湯帰りに商店のお店でよくこの飲料を買って帰り、家で落ち着いてこの味覚を味わったからでした。
『懐かしいなぁ、母もこのジュースが大層好きだった。』
亡き母の若かりし頃の優しい笑顔が浮かんできます。妻と違い、母になると悲しさより懐かしさが先に立ってきます。自分もまだほんの子供だった頃、純真な童子だった事だと、彼の脳裏には、はしゃぐ自分の幼い姿が浮かんできます。美しく良い思い出だけが浮かんできます。幸福な時代だ。良い時代だったと感慨深く思いを巡らしていた紫苑さんでした。ましてや風呂上がりです、彼の気分は上々、明るく高揚していました。
そこへこのマルの問いかけが入り込んできました。紫苑さんはああんと、一瞬彼の淡い感情に影が生じたのですが、彼の癇癪を呼び覚ます迄の効果には至りませんでした。
「そうですな…。」
そんな返事をして、彼は自身の若い頃の記憶を呼び起こしていました。そうだなぁ、自分達の事を、目の前にいる縁萬さんになら話してみても良いかな。何時しか紫苑さんはそんな風に考えていました。
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