県内は週末に春一番が吹いて暖かい休日でした。伯父の葬儀も滞りなく無事に終わり、私もホッとしました。午後は雨もちらつき、今日のニュースなど見ると原発の影響の放射能雨など心配になります。公私共にさまざまに忙しい週であったように思います。
久しぶりに会った従兄妹達とも話ができて、近況や新しい施設の状態など、落ち着いて眺めてくることができました。こんな時はゆっくりとした時間の流れが自然ですね。
今日も雨です。春雨、しっとりと落ち着いた中、今朝から父の時計カバーが壊れて、母が慌てふためいていました。まだ3か月くらいの新しい時計なので、私もびっくりなのですが、なんとなく象徴的に感じます。
時計を調べてみると、カバーは本体と接着剤で簡単にくっついていたようです。簡単に剥がれてしまうものだったとも言えます。接着剤で張り合わせれば済みそうなので、母は購入先へ修理に行くようです。
改めて時計を見てみると、カバーのない時計はそれなりに時計として眺められますし、機能的な中身にも影響はなさそうです。しかし精彩を欠いた地味な時計です。カバーをかけると現代的でセンス良く上品に見えます。
カバーは簡単なアルミフレームのようです。レンズやガラスがついているわけではありません。機能の為というより装飾的なカバーのようです。
さて、さまざまに書くことができますが、どう書こうかと思うと書き筋に困ります。伯父が簡単な人だったと書くわけではありません。父という時計にとって、伯父はこのフレームのような簡単な一部であった、と取るべきかなと感じます。
父を変えることなく、父が変わることなく、父の表層を覆う装飾、するりと外れて…戻らない。父の時計カバーは修理で戻りますが、これもまた一つの何かかもしれません。