2015.5.1(金)
5/ 8 日~23日まで、ネパールを訪問する予定でしたが、4/25日(土)にネパールで発生したマグニチュード7.8の大地震の被害の大きいことを考え、今回は取りやめることに致しました。
ネパールのニュースを見るたびに私は東日本大震災を思い出しています。
あの時は地震発生の5日後にネパールに行くチケットがとれていました。
羽田からの飛行機も飛んでいるのかいないのかもわからず、出発予定の前々日、やっと航空会社と連絡がとれ飛行機は飛んでいることがわかりました。
出発当日までどうしたものか悩みました(家を出るのは夜の8:00過ぎでよかった)が、結局日本にいても水は出ないし、スーパーからは食料品も消え、野菜も手に入らなくなってしまったこともあり、思い切ってネパールに行くことにしました。
2週間して日本に戻った時にはスーパーに品物が並んでいるのを見てホッとしたのを覚えています。
今回はその逆、ネパールが大変なことになってしまいました。
水はない・・ 野菜もない・・ 他の食料も手に入らない・・ ガソリンなども手に入らないため私たちが訪問しても空港までの出迎えもままならないかもしれない・・・
こんな状況では迷惑をかける以外の何物でもありませんからね。 力仕事でもできればまだ役にもたつのでしょうが、私のように体力のない者では役にたつどころか邪魔なだけですし・・・
私の支援するメールダラの学校は壁を塗り替えたりの補強がしてあったためか大丈夫だったとのことですが、子供たちの家はほとんどが崩れてしまっていると写真付きでメールが届きました。
ちなみに私がお世話になる予定の銀杏旅館の筋田さんが育てている兄弟姉妹5人の実家のあるラムチェ村では家々も全滅、学校も崩れてしまったとのことです。
こんな状況ですので、今回の訪問は断念、チケットもキャンセル致しました。 残念ですがしかたありません。
以下 ネパールから届いたサンガの銀杏旅館や近所の様子、そのずっと先にあるメールダラ、ラムチェ村の家々と学校の様子です。(詳しい説明がなかったのでどれがどこの村の物かはっきりしないものもあります)
銀杏旅館の玄関の壁は少々崩れています。(今回の改修で手をつけなかったところ) 部屋の中はぐちゃぐちゃだそうです。
私たちが泊まる奥の部分は昨年建て替えたばかりでほとんど無傷だったようです。
銀杏旅館の玄関を出たすぐ隣の家
崩れてしまった近所の家々。
銀杏旅館のすぐ近くにある、ネパールでは珍しい?モデルハウス。 ネパール風の建物でとてもりっぱなものですが屋根や塀などのくずれが見えます。
メールダラ、ラムチェ村に行くアルニコハイウェイ沿いの家々?
下の3枚はメールダラの学校に行くときに渡る吊り橋のある スクテ の風景のようです。
余震があるので棚田にテントを張って生活しているようですね。(途中の風景)
この写真はラムチェ村でも下の方でしょうか?ミナちゃんの家のあるラムチェ村には写っているようなトラックが登って行くのはムリで、4駈でも馬力のあるものでないと行けないのです。
ラムチェ村の家
これはラムチェ村の学校のようです。 5/1日から新学期が始まるはずですがこんなふうになってしまって・・・。(4月いっぱいは春休みと聞いています)
よく見ると、ラムチェ村がいかに急峻なところにあるのかがうかがい知れる2枚。
ホントに大変なことになってしまいました。
これから雨季になるのでどうしようかと筋田さんは頭を悩ませているそうです。
私事ですが、私の住む集合住宅の建て替えも東日本大震災でご破算になってしまいました。(あれさえなければ2013.12月には新居に入居していたはずでした)
新たに検討しているマンションは液状化対策をしないといけないとかでどれくらいの費用の上乗せがあるのかまだわからず(話によると最初の計画の倍はかかる・・?)、となるとその分も確保しておかなければならなくなりました。
ネパールにはあと一校の建設支援をする予定だったのですがいまのところ資金的に難しくなっている現状で、せめて縁のあるラムチェ村の学校くらいどうにかならないかとヤキモキしているところです。
人生予定通りにはいかないもので、 番狂わせ とはこんなことですね!
ネパールではこの時期ちょうどジャカランダの花が咲くころです。
これは2012年5/4~26の訪問時のもの。(5/15日頃には散り始めていました)
今年はこんなきれいな花を愛でているどころではないかと思うと心が痛みます。
5/ 8 日~23日まで、ネパールを訪問する予定でしたが、4/25日(土)にネパールで発生したマグニチュード7.8の大地震の被害の大きいことを考え、今回は取りやめることに致しました。
ネパールのニュースを見るたびに私は東日本大震災を思い出しています。
あの時は地震発生の5日後にネパールに行くチケットがとれていました。
羽田からの飛行機も飛んでいるのかいないのかもわからず、出発予定の前々日、やっと航空会社と連絡がとれ飛行機は飛んでいることがわかりました。
出発当日までどうしたものか悩みました(家を出るのは夜の8:00過ぎでよかった)が、結局日本にいても水は出ないし、スーパーからは食料品も消え、野菜も手に入らなくなってしまったこともあり、思い切ってネパールに行くことにしました。
2週間して日本に戻った時にはスーパーに品物が並んでいるのを見てホッとしたのを覚えています。
今回はその逆、ネパールが大変なことになってしまいました。
水はない・・ 野菜もない・・ 他の食料も手に入らない・・ ガソリンなども手に入らないため私たちが訪問しても空港までの出迎えもままならないかもしれない・・・
こんな状況では迷惑をかける以外の何物でもありませんからね。 力仕事でもできればまだ役にもたつのでしょうが、私のように体力のない者では役にたつどころか邪魔なだけですし・・・
私の支援するメールダラの学校は壁を塗り替えたりの補強がしてあったためか大丈夫だったとのことですが、子供たちの家はほとんどが崩れてしまっていると写真付きでメールが届きました。
ちなみに私がお世話になる予定の銀杏旅館の筋田さんが育てている兄弟姉妹5人の実家のあるラムチェ村では家々も全滅、学校も崩れてしまったとのことです。
こんな状況ですので、今回の訪問は断念、チケットもキャンセル致しました。 残念ですがしかたありません。
以下 ネパールから届いたサンガの銀杏旅館や近所の様子、そのずっと先にあるメールダラ、ラムチェ村の家々と学校の様子です。(詳しい説明がなかったのでどれがどこの村の物かはっきりしないものもあります)
銀杏旅館の玄関の壁は少々崩れています。(今回の改修で手をつけなかったところ) 部屋の中はぐちゃぐちゃだそうです。
私たちが泊まる奥の部分は昨年建て替えたばかりでほとんど無傷だったようです。
銀杏旅館の玄関を出たすぐ隣の家
崩れてしまった近所の家々。
銀杏旅館のすぐ近くにある、ネパールでは珍しい?モデルハウス。 ネパール風の建物でとてもりっぱなものですが屋根や塀などのくずれが見えます。
メールダラ、ラムチェ村に行くアルニコハイウェイ沿いの家々?
下の3枚はメールダラの学校に行くときに渡る吊り橋のある スクテ の風景のようです。
余震があるので棚田にテントを張って生活しているようですね。(途中の風景)
この写真はラムチェ村でも下の方でしょうか?ミナちゃんの家のあるラムチェ村には写っているようなトラックが登って行くのはムリで、4駈でも馬力のあるものでないと行けないのです。
ラムチェ村の家
これはラムチェ村の学校のようです。 5/1日から新学期が始まるはずですがこんなふうになってしまって・・・。(4月いっぱいは春休みと聞いています)
よく見ると、ラムチェ村がいかに急峻なところにあるのかがうかがい知れる2枚。
ホントに大変なことになってしまいました。
これから雨季になるのでどうしようかと筋田さんは頭を悩ませているそうです。
私事ですが、私の住む集合住宅の建て替えも東日本大震災でご破算になってしまいました。(あれさえなければ2013.12月には新居に入居していたはずでした)
新たに検討しているマンションは液状化対策をしないといけないとかでどれくらいの費用の上乗せがあるのかまだわからず(話によると最初の計画の倍はかかる・・?)、となるとその分も確保しておかなければならなくなりました。
ネパールにはあと一校の建設支援をする予定だったのですがいまのところ資金的に難しくなっている現状で、せめて縁のあるラムチェ村の学校くらいどうにかならないかとヤキモキしているところです。
人生予定通りにはいかないもので、 番狂わせ とはこんなことですね!
ネパールではこの時期ちょうどジャカランダの花が咲くころです。
これは2012年5/4~26の訪問時のもの。(5/15日頃には散り始めていました)
今年はこんなきれいな花を愛でているどころではないかと思うと心が痛みます。