2015.5.10(日)
日にちははっきりわからないのですが、地震が起こって数日後のこと、今回の地震で一番被害の大きかったシンドパルチョーク郡のラムチェ村にいる長女のミナちゃんから 「お父さん(筋田さんのこと、)お米150袋、村に持ってきて!」 との要請があったけれど、筋田さんにはそれほどたくさんのお金がなくすぐの用には間に合わなかったとのことでした。
そんな話を聞いたからか・・・ ミナちゃんと弟のパンネくんの働いているカトマンドゥの 「富士山ゲストハウス」 と 「ソル・エベレストトレック」 という会社を経営している水出(みずいで)さんという方が、
5/3~4日にかけ、彼のところに集まった支援金76万円のうち73万円ほどを使い、緊急に必要とされる食料、調味料、ビニールシートなどを調達、2回目の支援としてトラック3台とジープ1台でラムチェ村に届けて下さったそうです。
その時のトラックも来るのか来ないのか・・・ ネパールのことなので内心ヤキモキしたようです。(私はこれらのことを何日もたってから知りました。)
その時の支援物資が 米 9000Kg 一戸30Kg × 300戸分
油 300L 1L × 300戸分
塩 300Kg 1Kg × 300戸分
大豆のタンパク・マショーラ 300Kg 1Kg × 300戸分
その他 ビニールシート(数は不明)
ラムチェ村は1~9までのブロックに別れており、全部で1300戸以上の家があるとのことですが、全部の支援はとても無理なので、ミナちゃんの家のある周りのNo.2と3のブロック280戸の支援だけに止まったとのことです
その時の写真(水出さんのブログから)
彼はこれ以前、地震発生の2日後、4/27日には、第1回目の支援として、その場にいた方6人からの支援金3万円ほどをパンネくんに持たせて「必要な食料とビニールシートを出来るだけ買ってラムチェ村に届けるように」と送り出していました。
5/10~11日には 第3回目の支援物資を届けて下さるとのことです。
それがほとんど無料で提供して頂けた食料と薬だそうで・・・!
以下 水出さんのブログから・・・(一部抜粋)
~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~
インド系のかなり大きな団体が シンドパルチョーク(ラムチェ村も含まれる)
は被害が大きいのでそこに行くボランティアや住民に食料を無償提供して
更に車まで用意してくれるとの事。
ラムチェ村にも米・豆・塩・油・マサラのセットを400セットだったら出し
ても良いと!! 但し、ラムチェ村までは特別なトラックでないと登れない
ので車は用意して欲しいとの事でした。
この段階で薬の無償提供の約束をしていただきました。
バラビシェの街の病院に居るその地区代表からもらえるよう取り計らっ
てもらえました。
~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~
・・・ということで、ラムチェ村への登り口のあるバラビセからラムチェ村まで上がれる馬力の大きい車の用意だけすれば良いのだそうです。
現地にいて 今すぐ欲しいという物をすぐに届けることに心を砕き、一生懸命やって下さる方がいてよかったなぁ と、つくづく感心した一件でした。
銀杏旅館の筋田さんの方は 日本やベルギーの支援者からの支援金の届くのを待って長い目で見た村の復興支援を考えているとのことです。
日本人でもすごい人がいてうれしい限りです。 かくいう私は少々の支援をするだけで・・・
日にちははっきりわからないのですが、地震が起こって数日後のこと、今回の地震で一番被害の大きかったシンドパルチョーク郡のラムチェ村にいる長女のミナちゃんから 「お父さん(筋田さんのこと、)お米150袋、村に持ってきて!」 との要請があったけれど、筋田さんにはそれほどたくさんのお金がなくすぐの用には間に合わなかったとのことでした。
そんな話を聞いたからか・・・ ミナちゃんと弟のパンネくんの働いているカトマンドゥの 「富士山ゲストハウス」 と 「ソル・エベレストトレック」 という会社を経営している水出(みずいで)さんという方が、
5/3~4日にかけ、彼のところに集まった支援金76万円のうち73万円ほどを使い、緊急に必要とされる食料、調味料、ビニールシートなどを調達、2回目の支援としてトラック3台とジープ1台でラムチェ村に届けて下さったそうです。
その時のトラックも来るのか来ないのか・・・ ネパールのことなので内心ヤキモキしたようです。(私はこれらのことを何日もたってから知りました。)
その時の支援物資が 米 9000Kg 一戸30Kg × 300戸分
油 300L 1L × 300戸分
塩 300Kg 1Kg × 300戸分
大豆のタンパク・マショーラ 300Kg 1Kg × 300戸分
その他 ビニールシート(数は不明)
ラムチェ村は1~9までのブロックに別れており、全部で1300戸以上の家があるとのことですが、全部の支援はとても無理なので、ミナちゃんの家のある周りのNo.2と3のブロック280戸の支援だけに止まったとのことです
その時の写真(水出さんのブログから)
彼はこれ以前、地震発生の2日後、4/27日には、第1回目の支援として、その場にいた方6人からの支援金3万円ほどをパンネくんに持たせて「必要な食料とビニールシートを出来るだけ買ってラムチェ村に届けるように」と送り出していました。
5/10~11日には 第3回目の支援物資を届けて下さるとのことです。
それがほとんど無料で提供して頂けた食料と薬だそうで・・・!
以下 水出さんのブログから・・・(一部抜粋)
~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~
インド系のかなり大きな団体が シンドパルチョーク(ラムチェ村も含まれる)
は被害が大きいのでそこに行くボランティアや住民に食料を無償提供して
更に車まで用意してくれるとの事。
ラムチェ村にも米・豆・塩・油・マサラのセットを400セットだったら出し
ても良いと!! 但し、ラムチェ村までは特別なトラックでないと登れない
ので車は用意して欲しいとの事でした。
この段階で薬の無償提供の約束をしていただきました。
バラビシェの街の病院に居るその地区代表からもらえるよう取り計らっ
てもらえました。
~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~・・・・・~
・・・ということで、ラムチェ村への登り口のあるバラビセからラムチェ村まで上がれる馬力の大きい車の用意だけすれば良いのだそうです。
現地にいて 今すぐ欲しいという物をすぐに届けることに心を砕き、一生懸命やって下さる方がいてよかったなぁ と、つくづく感心した一件でした。
銀杏旅館の筋田さんの方は 日本やベルギーの支援者からの支援金の届くのを待って長い目で見た村の復興支援を考えているとのことです。
日本人でもすごい人がいてうれしい限りです。 かくいう私は少々の支援をするだけで・・・