2015.5.3(日)
数日前のニュースで、今回のネパールの地震で被害の大きいのは シンドパルチョーク郡・・・と聞いていました。
シンドパルチョーク郡 てどこだろう… と思っていましたが、前回のブログに書いた銀杏旅館の5人兄弟姉妹の実家のあるラムチェ村に上がって行く登り口となる バラビセ という町がシンドパルチョーク郡の中にあるということがわかりました。
それは、ネットでニュースを見ていたとき 日本の医療班が、地震から6日目の5/1日 シンドパルチョーク郡のバラビセで活動を開始した という記事を読んでわかったのです。
普段、通り過ぎる村や町の名前はよく耳にするので聞き覚えがあるのですが、郡の名前や県の名前までは全くわかりませんでした。
カトマンドゥからアルニコハイウェイをチベット(中国)に向かう手前の郡です。
ドゥラルガート。 あまり詳しくはわかりませんが、このあたりはもうシンドパルチョーク郡かと思われます。 遠くに少しだけ崩れた家が見えますが、最近建てたらしい鉄筋の入った建物は意外と崩れていないようです。(4/30日筋田さんから届いたもの)
ドゥラルガートの市場。メールダラの学校に行くときにはいつもここで食料を調達していました。(2013.11月撮影) 地震後はどんなふうになっているのでしょう・・・。
この少し先が、メールダラの学校に行くときにつり橋を渡ってミルクトラックに乗り換えるスクテです。
1年半前は何ともなかったスクテ。(2013.11月)
それが今は・・・前回のブログのようにかなりの家が崩れてしまったようです。
さらにこのず~っと先が日本の医療班が活動を開始したというバラビセになります。
バラビセの橋を渡ってさらにその先に進むとチベットです。
こちらがバラビセの橋。 地震後の橋の写真はなく 2013.11月のものです
銀杏旅館の子供たち(長女ミナちゃん)の実家のある ラムチェ村 はこの橋の手前をグングン山の上に上がって行ったところにあります。
そんなことで、ラムチェ村もシンドパルチョーク郡ということで被害の最も大きかった場所といういことがあとでわかった次第です。
以下すべて4/30日に筋田さんから届いた写真です。
ラムチェ村に登り始めて間もなく写したと思われるバラビセの街ではないかと・・・。
2013.11月に私がラムチェ村を訪れた時は四駆のジープで登って行きましたが、あまりの急な山道なので、オーバーにいうと後ろにひっくりかえってしまいそう・・・と思うほどでした。この写真でその急な山の感じがよくわかるような気がします。
ラムチェ村までの途中の家とラムチェ村の家々
山の家々はほとんどがレンガや石を積んだだけの家ですので地震には弱く崩れやすいのですね。
ミナちゃんの実家のヤギや牛は無事だったようです。
ニュースの航空写真から、山が崩れて土砂に流され、村全体が消失してしまったところもあるらしいのですが、幸いミナちゃんの実家のあるラムチェ村は、家々は壊滅状態のようでしたが、土砂崩れはなかったようです。
そのラムチェ村に登って行くときに川をはさんだ対岸の山の中腹にも小さな村がいくつか見えましたが、それらの村のどこか(又はそれ以外のところか)が土砂に押し流されてしまったのかもしれません。
シンドパルチョーク郡だけでも死者の推定はまだ3000人くらいはいるらしい・・・との報道も・・。
なんと悲しい・・・。
数日前のニュースで、今回のネパールの地震で被害の大きいのは シンドパルチョーク郡・・・と聞いていました。
シンドパルチョーク郡 てどこだろう… と思っていましたが、前回のブログに書いた銀杏旅館の5人兄弟姉妹の実家のあるラムチェ村に上がって行く登り口となる バラビセ という町がシンドパルチョーク郡の中にあるということがわかりました。
それは、ネットでニュースを見ていたとき 日本の医療班が、地震から6日目の5/1日 シンドパルチョーク郡のバラビセで活動を開始した という記事を読んでわかったのです。
普段、通り過ぎる村や町の名前はよく耳にするので聞き覚えがあるのですが、郡の名前や県の名前までは全くわかりませんでした。
カトマンドゥからアルニコハイウェイをチベット(中国)に向かう手前の郡です。
ドゥラルガート。 あまり詳しくはわかりませんが、このあたりはもうシンドパルチョーク郡かと思われます。 遠くに少しだけ崩れた家が見えますが、最近建てたらしい鉄筋の入った建物は意外と崩れていないようです。(4/30日筋田さんから届いたもの)
ドゥラルガートの市場。メールダラの学校に行くときにはいつもここで食料を調達していました。(2013.11月撮影) 地震後はどんなふうになっているのでしょう・・・。
この少し先が、メールダラの学校に行くときにつり橋を渡ってミルクトラックに乗り換えるスクテです。
1年半前は何ともなかったスクテ。(2013.11月)
それが今は・・・前回のブログのようにかなりの家が崩れてしまったようです。
さらにこのず~っと先が日本の医療班が活動を開始したというバラビセになります。
バラビセの橋を渡ってさらにその先に進むとチベットです。
こちらがバラビセの橋。 地震後の橋の写真はなく 2013.11月のものです
銀杏旅館の子供たち(長女ミナちゃん)の実家のある ラムチェ村 はこの橋の手前をグングン山の上に上がって行ったところにあります。
そんなことで、ラムチェ村もシンドパルチョーク郡ということで被害の最も大きかった場所といういことがあとでわかった次第です。
以下すべて4/30日に筋田さんから届いた写真です。
ラムチェ村に登り始めて間もなく写したと思われるバラビセの街ではないかと・・・。
2013.11月に私がラムチェ村を訪れた時は四駆のジープで登って行きましたが、あまりの急な山道なので、オーバーにいうと後ろにひっくりかえってしまいそう・・・と思うほどでした。この写真でその急な山の感じがよくわかるような気がします。
ラムチェ村までの途中の家とラムチェ村の家々
山の家々はほとんどがレンガや石を積んだだけの家ですので地震には弱く崩れやすいのですね。
ミナちゃんの実家のヤギや牛は無事だったようです。
ニュースの航空写真から、山が崩れて土砂に流され、村全体が消失してしまったところもあるらしいのですが、幸いミナちゃんの実家のあるラムチェ村は、家々は壊滅状態のようでしたが、土砂崩れはなかったようです。
そのラムチェ村に登って行くときに川をはさんだ対岸の山の中腹にも小さな村がいくつか見えましたが、それらの村のどこか(又はそれ以外のところか)が土砂に押し流されてしまったのかもしれません。
シンドパルチョーク郡だけでも死者の推定はまだ3000人くらいはいるらしい・・・との報道も・・。
なんと悲しい・・・。