2016.3.27(日)
1月、2月とお休みだった とねるず の歩きでした。
3ヶ月ぶりに会った仲間のお一人が、その間に肺がんの手術をし、すでに完治、今日も元気に歩いていたのが印象的でした。
10:00過ぎ 我孫子駅南口から出発。
いつものことですが、地図で見るとほんの少しの地域を歩いただけ・・・。
今回は地元の人が多く、地図を見ないでも歩けるという人ばかり、あとで地図を見ましたが、地図にないような細い道を歩いたりで、どこをどう歩いたのかよくわからないところも・・・。
ですので、歩いた順に、カメラに収められている順に、書いて行こうと思います。
我孫子駅南口は手賀沼側になります。
南口駅前に石造のSLがありました。
「鉄道なくして町の発展なし 」と信じ、私財を投じて駅用地を無償提供した飯泉喜久雄氏を称え、平成15年に設置されたものだそうです。 駅開設は明治29年。
最初に向かったのは駅の近くにあるというかやぶき屋根の家。今は我孫子市の所有で中には入れませんでした。
その手前にあった大光寺。 墓地のサクラに惹かれて戻りました。
本堂裏手のサクラ。 ソメイヨシノより早く咲く種のようです。
墓地を抜けて横道に出ました。 細い山道のような・・・
すぐのところに 杉村楚人冠(すぎむら そじんかん) の記念館がありましたが、垣根越しに覗いただけで中には入りませんでした。
杉村楚人冠
朝日新聞社に勤めていたころ、石川啄木や長塚節などが世に出る際、功があった方だそう・・。 関東大震災後に東京から我孫子に越してきて本人も俳人として活躍したようです。 昭和20年没。
記念館に隣接する少し高くなったところが楚人冠公園になっており 筑波見ゆ 冬晴れの 洪((おお)いなる空に という句碑がありました。
近くのお宅にはピンクのきれいなツツジが。
ぐるっと回って少し山道を下るところにはモミジイチゴの花
地元の人の案内で古いお煎餅やさんに寄りました。 それぞれ好みの品を買い求めました。 残念ながら写真は撮り忘れました。
この通りの裏手に竹の繁る素敵な山道があるというので下から上へと上がって行きました。
左手の塀の中が三樹荘と名付けられた住居。文人たちがよく集ったところだそうです。
坂道は天神坂という名、大正時代、三樹壮に集まった文人がこよなく愛した道だったとか。 今は階段が整備され、とても歩きやすい今風の坂道になっています。
坂を上りきったところ、右手に 嘉納治五郎別荘跡がありました。今は公園として整備されています。手賀沼の眺望至極よし
三樹荘の命名は、嘉納治五郎の姪の柳直枝子(やなぎすえこ)が明治44年(1911)に別荘を構えた時に三本の椎の木がそびえていたことから嘉納治五郎が名付けたとのこと。
大正3年(1914)に柳直枝子(すえこ)の弟、白樺派の柳宗悦(むねよし)が住むようになると、柳を慕って志賀直哉や武者小路実篤らも相次いで我孫子に移住、イギリス人陶芸家バーナード・リーチは三樹荘に窯を築いて作陶に打ち込んだとか。
三本の椎の木は今もあるそうです。塀の外からはその木がどれかはよくわかりませんでした。
ここから逆戻りして手賀沼のほとりに出ました。(我孫子駅南口からまっすぐ来ると突き当り)
入口近くに平和の記念碑がありました。 爆心地近くの旧広島市庁舎の側壁と敷石が埋められています。
ちょうどテーブルとベンチもあったのでここで昼食としました。 近くにはボート乗り場もあります。
昼食後トイレを借りるためにすぐ近くのアビスタという図書館の入ったりっぱな施設に行きましたら、そこに 広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子(さだこ)さんが実際に折ったという折鶴が寄贈され、展示してありました。(真ん中の黄色っぽい鶴)
トイレも済ませ、手賀沼のほとり(昼食を摂った側)を東に進んで水の館に向かいました。
手賀沼のまわりには野良ねこを保護しているグループがあるのだそうです。
看板はそう珍しくはないのですが、左上の小さい文字にご注目!
メスねこは避妊をし、野良ちゃん用の小さな小屋もあちこちに備えたり・・・。
年に2回ほどフリーマーケットを開き、もろもろかかる費用を捻出しているそうです。
saikoroatさんのブログにきれいなユキヤナギが写っていましたが、ここでもユキヤナギがきれいに咲いていました。
レンギョウも・・・
フェンスの中でしたが白鳥が一羽、何の警戒心も持たずのんびりと羽を休めていました。
昼食地点から約1キロくらいで水の館に着きました。この建物ですから遠くからもよく見えます。 広場の彫刻は安田がん(がんという漢字が出せない・・)という方の作品。
館の展望室(4F)からは手賀沼が一望できます。沼方面が南になるためか逆光で写真はうまく撮れませんでした。
すぐ近くに鳥の博物館と山科鳥類研究所がありましたが、そちらには回らず帰途につきました。
帰り道で見かけた民家。こんなりっぱなお宅ですが、たったお一人で住んでいらっしゃるとか・・。
駅の近くにあるというメンバーのお宅に、お父様の書かれたペンマンシップ(洋書道)という作品を見せて頂くために寄らせて頂きました。 お茶に呼ばれたというより押しかけたという方があたっています。
これが作品の一つですが、とても手で書いたとは思えない美しい文字(絵も)です。
この他にもたくさんの作品がファイルされて保存されていました。
今日見かけたマンホールやタイル。
これは最初のマンホールの色つきのものでしたね。
きのう、今日とさくらが見ごろになりましたが、娘がこどもを連れてやってきましたのでその遊びの相手で花見どころではありませんでした。 写真一枚も撮っていません。
一週間前の日曜のとねるずの歩きが、今日やっと書き終わった次第です。
1月、2月とお休みだった とねるず の歩きでした。
3ヶ月ぶりに会った仲間のお一人が、その間に肺がんの手術をし、すでに完治、今日も元気に歩いていたのが印象的でした。
10:00過ぎ 我孫子駅南口から出発。
いつものことですが、地図で見るとほんの少しの地域を歩いただけ・・・。
今回は地元の人が多く、地図を見ないでも歩けるという人ばかり、あとで地図を見ましたが、地図にないような細い道を歩いたりで、どこをどう歩いたのかよくわからないところも・・・。
ですので、歩いた順に、カメラに収められている順に、書いて行こうと思います。
我孫子駅南口は手賀沼側になります。
南口駅前に石造のSLがありました。
「鉄道なくして町の発展なし 」と信じ、私財を投じて駅用地を無償提供した飯泉喜久雄氏を称え、平成15年に設置されたものだそうです。 駅開設は明治29年。
最初に向かったのは駅の近くにあるというかやぶき屋根の家。今は我孫子市の所有で中には入れませんでした。
その手前にあった大光寺。 墓地のサクラに惹かれて戻りました。
本堂裏手のサクラ。 ソメイヨシノより早く咲く種のようです。
墓地を抜けて横道に出ました。 細い山道のような・・・
すぐのところに 杉村楚人冠(すぎむら そじんかん) の記念館がありましたが、垣根越しに覗いただけで中には入りませんでした。
杉村楚人冠
朝日新聞社に勤めていたころ、石川啄木や長塚節などが世に出る際、功があった方だそう・・。 関東大震災後に東京から我孫子に越してきて本人も俳人として活躍したようです。 昭和20年没。
記念館に隣接する少し高くなったところが楚人冠公園になっており 筑波見ゆ 冬晴れの 洪((おお)いなる空に という句碑がありました。
近くのお宅にはピンクのきれいなツツジが。
ぐるっと回って少し山道を下るところにはモミジイチゴの花
地元の人の案内で古いお煎餅やさんに寄りました。 それぞれ好みの品を買い求めました。 残念ながら写真は撮り忘れました。
この通りの裏手に竹の繁る素敵な山道があるというので下から上へと上がって行きました。
左手の塀の中が三樹荘と名付けられた住居。文人たちがよく集ったところだそうです。
坂道は天神坂という名、大正時代、三樹壮に集まった文人がこよなく愛した道だったとか。 今は階段が整備され、とても歩きやすい今風の坂道になっています。
坂を上りきったところ、右手に 嘉納治五郎別荘跡がありました。今は公園として整備されています。手賀沼の眺望至極よし
三樹荘の命名は、嘉納治五郎の姪の柳直枝子(やなぎすえこ)が明治44年(1911)に別荘を構えた時に三本の椎の木がそびえていたことから嘉納治五郎が名付けたとのこと。
大正3年(1914)に柳直枝子(すえこ)の弟、白樺派の柳宗悦(むねよし)が住むようになると、柳を慕って志賀直哉や武者小路実篤らも相次いで我孫子に移住、イギリス人陶芸家バーナード・リーチは三樹荘に窯を築いて作陶に打ち込んだとか。
三本の椎の木は今もあるそうです。塀の外からはその木がどれかはよくわかりませんでした。
ここから逆戻りして手賀沼のほとりに出ました。(我孫子駅南口からまっすぐ来ると突き当り)
入口近くに平和の記念碑がありました。 爆心地近くの旧広島市庁舎の側壁と敷石が埋められています。
ちょうどテーブルとベンチもあったのでここで昼食としました。 近くにはボート乗り場もあります。
昼食後トイレを借りるためにすぐ近くのアビスタという図書館の入ったりっぱな施設に行きましたら、そこに 広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子(さだこ)さんが実際に折ったという折鶴が寄贈され、展示してありました。(真ん中の黄色っぽい鶴)
トイレも済ませ、手賀沼のほとり(昼食を摂った側)を東に進んで水の館に向かいました。
手賀沼のまわりには野良ねこを保護しているグループがあるのだそうです。
看板はそう珍しくはないのですが、左上の小さい文字にご注目!
メスねこは避妊をし、野良ちゃん用の小さな小屋もあちこちに備えたり・・・。
年に2回ほどフリーマーケットを開き、もろもろかかる費用を捻出しているそうです。
saikoroatさんのブログにきれいなユキヤナギが写っていましたが、ここでもユキヤナギがきれいに咲いていました。
レンギョウも・・・
フェンスの中でしたが白鳥が一羽、何の警戒心も持たずのんびりと羽を休めていました。
昼食地点から約1キロくらいで水の館に着きました。この建物ですから遠くからもよく見えます。 広場の彫刻は安田がん(がんという漢字が出せない・・)という方の作品。
館の展望室(4F)からは手賀沼が一望できます。沼方面が南になるためか逆光で写真はうまく撮れませんでした。
すぐ近くに鳥の博物館と山科鳥類研究所がありましたが、そちらには回らず帰途につきました。
帰り道で見かけた民家。こんなりっぱなお宅ですが、たったお一人で住んでいらっしゃるとか・・。
駅の近くにあるというメンバーのお宅に、お父様の書かれたペンマンシップ(洋書道)という作品を見せて頂くために寄らせて頂きました。 お茶に呼ばれたというより押しかけたという方があたっています。
これが作品の一つですが、とても手で書いたとは思えない美しい文字(絵も)です。
この他にもたくさんの作品がファイルされて保存されていました。
今日見かけたマンホールやタイル。
これは最初のマンホールの色つきのものでしたね。
きのう、今日とさくらが見ごろになりましたが、娘がこどもを連れてやってきましたのでその遊びの相手で花見どころではありませんでした。 写真一枚も撮っていません。
一週間前の日曜のとねるずの歩きが、今日やっと書き終わった次第です。
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