朝、窓を閉める時下の庭に赤いものが目に入りました。
曼珠沙華が七八本、昨日も咲いていたが気がつかなかったのかと思いつ、
一つの句を、最近読んだなと頁をめくると
だしぬけに咲かねばならぬ曼珠沙華 後藤 夜半
この「だしねけ」なのです。それも人の思惑にかかわりなく「咲かねばならぬ」
なのです。この花が墓地に咲くとか毒があるとかで不吉な花のようにいわれ、
名前も死人花・幽霊花・彼岸花・捨子花などと付けられています。
不吉感には、この「だしぬけ」に対する人の当惑・恐れがあるのではないでしょ
うか。思惑どおりにいけばいいと思っていても、そうはならない象徴のような花。
黛まどかさんは、「“だしねけに” 咲くこと、それは曼珠沙華だけに課せられた
宿命」と書き、詠み手の夜半の己の「宿命」に対する決意と矜持、諦観を “咲か
ねばならぬ” との断定に読んでいます。
昨日、身内の病床を見舞ってきました。八月のお盆にお会いしたときは、ベット
での生活ではあっても元気でかなり話込み、前年亡くなったご主人の遺影の穏
やかな顔に本当に似てきたなーと思ったものでした。 その方が、余命数日とい
うことを聞き伺ったのですが、人の死も「だしぬけ」です。
この本(黛まどか『知っておきたい【この一句】』) に、次の曼珠沙華の句が
曼珠沙華散るや赤きに耐へかねて 野見山 朱鳥