昨日の「説明」とはこういうことです。
私は1937(昭和12)年6月生まれで届け出ている誕生日は、実際より
20余日遅くなっています。 出生時平均の半分の体重しかなく当時の状況
では育たないと産院も親たちも判断したようで、出生届けが遅れたのでし
た。 よく母は私に「お前は生命力が強い」と言ってくれたものです。
そんなこともあり、自分が生きてきたということへの意識的な「こだわり」
が強くあったようです。 それは少年・青年期の特有の生きる意義への関心
と重なり自己の存在に社会とか時代とかの地面に足をつけたという実感を
求めていました。 昭和12年生まれは事実ではあるが、実感ではなかった
のです。
あるとき、多分中学校の終わり頃か、年表を見ていて昭和12年は1937
年であること、その年に日本の軍隊は中国の南京という都市で大虐殺を行
なったという事実を知ったのです。 それは自分の立ち位置への視野の広が
りとなり、歴史的感覚が芽生えたともいえます。 社会というものを自分の足元
に感じること、時代を生きるということを実感として掴み始められました。 その
時の感覚は今でも自分の社会的意識の根底にあります。
それだけに、どういう時代に日本人として生れ生命を維持してきたのか、
それがどういう意味をもっているのかの問いかけをもち続けてきたように
思います。 それが「予測年表」を見た時に100歳まで生きて「歴史的瞬間
を見たい」と思った理由です。