同級生ですからほとんどが75歳、なかには早生まれで来年の2月でその
年齢になるなどすこし胸をそらした男もいましたが。
この同級会は、たとえ、参加は無理だと分かっていても案内は出そうぜ、
と言って全員に出し続けているきっかけになったのは、中学校から高校時
代ぐれて組関係の者と付き合いはじめたことのあった男の提案だったと聞
きます。 「この付き合いは女房にも他の人間にはない付き合いなのだか
ら」といって主張したそうです。 この男の面倒見の良さは、同級会の当日
の盛り上がりをつくる支えになっているのです。
中学校時代にはほとんど付き合いのなかった学友とも、この間にどれほど深く
知り合えたか、その頃の街の話も交えて自分の成長の土壌がこのなかにあった
と実感できるのです。
上田駅から帰る者たちを送ってくれた件の男と別れ、すぐ駅舎に向った者とは
別に兄夫婦と待ち合わせ、100歳の叔父を病院に見舞いに行きました。今年の
半ば頃それまで居た施設から病院に移ったのです。ほとんで意識のない状況で
ベットに口を半ば開けたままで居られました。声をかけると目を開けようとします。
手袋をはめた手が動きます。口もわずかに閉じ開けをします、声にはなりません
が、明らかに意思表示をしているのです。
来て会えてよかった、と思いました。
この夏、叔父さんの二女から聞いた話。「100歳までで一番うれしかったことは、
何だった」との答えは「戦争で南方の戦地にいた時、偶然小学校時代の友人と会
えたことだった」と。
『論語』巻第一の第一 「朋あり、遠方より来る、亦た楽しからずや」 の遠方は距
離だけではなく、時間の遠方も意味しているのです。