M叔父が亡くなって母方の伯父叔父叔母5人すべてが他界しました。
M叔父は明治44・1911年12月生まれですから、享年102歳ということ
になります。伯父叔母のなかではもっとも長命でした。 母方兄弟の死亡時
満年齢を長兄→末弟の順で記しますと、87、100、94、96、85、続いて
M叔父の100歳となり、かなり長命の家系かと思います。
早くから東京へ出た伯父家族を別にすれば、5人は上田市内か極近くに
住んでいたこともあってかなりの期間兄弟会を楽しんで行なっていたよう
です。 なにかと助け合いが行なわれていた日常ですから、私たち従兄弟
同士の付き合いもある程度の年齢まで自然にすすめられていました。 そ
の従兄弟関係も互いが社会人になり家族をもつなかで疎遠になって、特
に上田を離れた者にはそのつながりは薄くなってきました。
伯父叔母の葬儀の席で顔をあわせ話すなかで、こころおきなく飲み話し
談笑する場をもとう、と 「いとこ会」 が行なわれるようになって七八年、三
回ほどもたれました。
三年前の10月24日の日付のある色紙がM叔父の祭壇に飾られてい
ましたが、いとこ会の席で叔父の 「百壽」 を祝い甥姪およびその連れ合
いが祝いの言葉を寄せ書きしたものでした。
叔父は俳句をよくし、「家族から父への想い」にも「俳号を “粲葉” とし
て多くの句を詠んでいた姿は今も瞼を閉じれば浮かんできます」 と記し
たありました。 詠まれた句を甥たちの手でまとめ句集にもしたことがあ
ります。
百二歳白菊棺に満ちてあり 清蛙
叔父さん、有難うございました、母によろしくお伝えください。