今日の休日は「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」です。 なぜ「建国
記念日」ではなく、「の」が挿入されているか、それについては下記を。
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http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-02-11/2013021101_06_0.html
この一文のなかにある 「紀元節」 では1940年の「神武天皇即位2600年」
に全国で祝いの行事が行われましたが、そのころ2歳半位の私の記憶のな
かにも祝賀の歌「紀元二千六百年」が残っています。 もちろん、その時だけ
でなくそれ以降ラジオなどで折りに触れ耳に入った結果でしょうが、小学校に
上がる前の幼児の記憶にのこるほどの思想啓蒙であったわけです。
暦に「神武天皇即位紀元二千〇百〇十〇年」と記されはじめたのは、明治
五年の十二月三日を明治六年一月一日にする、という明治改暦からのよう
です。 明治新政府の最初の暦=明治二年=にはそれは記されていません。
最後の太陰太陽暦の明治五年の暦にも見られず、最初の太陽暦の明治六年
から記されています。 明治六年は「神武天皇即位紀元二千五百三十三年」と
なっています。(『日本の暦』渡邊敏夫著・雄山閣・昭和51年刊による)
江戸時代の人口二千八百万、そのなかで500万部の発行部数だったとい
われ、当時の一家にひとつの普及を見せていた暦に「紀元」を記すことは、
明治政府の国家づくり=天皇制絶対主義国家の国民啓蒙に大きな影響を
与えたに違いありません。