富士山の世界遺産への登録が確実視されるなか、鎌倉のそれはこの
ままでは「絶望」に近い結果がでてしまいました。今後のことは6月のユ
ネコス世界遺産委員会に向けての動きを見ていかなければ分かりませ
んが、この時点であらためて「古都鎌倉」とはどういう街(がい)なのか、考
えてみなければと思います。
司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズ「42」は『三浦半島記』で、
それは次のような文章からはじまります。
「相模の国(神奈川県)の三浦半島は、まことに小さい。
(略)
ところが、この半島から、十二世紀末、それまでの日本史を、鉄の槌
とたがねでもって叩き割ったような鎌倉幕府が出現するのである。
なぜそうなったのか。そんな疑問を主題にして、この半島を歩こうとし
ている。 まず、武士の発生のことである。」と続くのです。
鎌倉を世界遺産に推薦する文章(文化庁・2001年月)にも、鎌倉が
どういう観点から普遍的価値を有しているかを次のように述べています。
「戦士階級に属していた武家が、12世紀末の日本において古代社会の
貴族支配から中世・近世へと続く武家支配への移行という大変革をもた
らした政権を樹立し、~武家文化を生みだしたことを示す物証である。 」
そして、「山稜部と一体となった稀に見る政権所在地の類型を形成した。」
しかし、イコモスは普遍的価値として評価しえるかの水準でみると
「物的証拠が少ないか、限定的なものか、証拠がない」とし、また、「資産
の周辺が都市化されていることの影響は無視できない。」と記しています。
そして、「結論 完全性の観点、及び比較検討の観点から、顕著な普遍
的価値を証明できていない。」とされたのです。
「もういちど日本」というのはNHKのTV画面にでてくる「言葉」ですが、
あらてめて「鎌倉世界遺産登録」という問題をつうじて、私たちの歴史
感覚・歴史認識というこを考えてみなければと思います。
明日、そんなことを思いながら鎌倉を歩いてみます。