kaeruのつぶやき

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ドキドキの『資本論』。

2013-05-20 17:39:22 | kaeruの『資本論』

 テレビ「八重の桜」を見ていたら慶応3年(1867年)と、字幕に現われた

ので、以下今日の「資本論」はそこから……。

 

 後藤象二郎は、慶応3年(1867年)坂本龍馬から大政奉還論

いて感銘を受け、6月22日(西暦7月23日)薩土盟約が締結、(が)

9月7日(同10月4日)に盟約は解消。(ゴシック部分はWikiより) 

 その頃です、イギリス・ロンドンでは……。

 1867年7月25日、カール・マルクスはすでに印刷所に出してあった

『資本論』 第1巻の「序言」を書き上げ最後にこの日付を記しました。

この日付のまえに、あの “ なんじの道を進め、そして人々をして語るに

まかせよ!” があるのです。 なお、「序言」は「私がここに第1巻を公刊

するこの著作は、1859年に刊行された私の著書『経済学批判』の続き

である」ではじまっています。

 この 『資本論』 第1部にマルクスは当時の日本の状況を何ヵ所か

で書き込んでいるのですが、そのことは後で触れるでしょうから、ここ

では1858年10月8日のマルクスからエンゲルスへの手紙の「日本」

について、「ブルジョア社会の本来の任務は、世界市場を作りだすこ

と(略)。世界はまるいので、このことはカリフォルニアからオーストラ

リアの植民地化と、中国と日本の開国で終結するように見える」と書

いています。

 ですから、マルクスは『資本論』の前書『経済学批判』の段階でブル

ジョア社会の本質を分析し、その行き着いた先の「日本」を「世界史的

な考察の一部にその位置をしめる存在として」(不破哲三さんの指摘)

みていたのです。

 イギリスからはじまった資本主義社会が地球を覆いはじめ、その市

場化を「世界の果て・日本」にまで行き渡らせたことを、まるで地球儀を

抱きかかえるようにしてマルクスはつかんでいたのです。

 

 今週の「あまちゃん」は「おら、ドキドキがとまんねぇ」です。kaeruの

心臓はこういう 『資本論』 にドキドキするのです。