これも『資本論』の中身に関係することだと思います。
第1巻での同志・ヴォルフへの献詞を紹介しましたが、もしマルクスが自分
の手で第2巻・第3巻を世に送り出すことができていたなら、その扉には一人
の人の名前が記されていたに違いありません。
その名は「イェニー ・ マルクス」=マルクス夫人。 そのことは 『資本論』
第2巻の序言の締めにエンゲルスが
「『資本論』の第2部と第3部は、マルクスがたびたび私に語ったところでは、
彼の夫人にささげられることになっていた。」
と記していることで明らかです。
kaeru的妄想を語れば、彼マルクスは「イェニー」の名を記すとあわせ、
他の一冊には「イェニー・フォン・ヴェストファーレン」=マルクス夫人にな
る前のイェニーの名前を記したかも知れません。
マルクスは青年時代に詩を書いたことがありますが、その多くがイェニー
に捧げられたものです。「愛の本」「歌の本」と題する詩集の扉には
「わが親愛なる 永遠に愛する イェニー・フォン・ヴェストファーレンに」
との献詞が記されています。
人生の終わり間近になって、己の一身の体現である『資本論』を、かって
己の想いの体現であった「詩集」の扉に記した言葉で、ふたたび飾りたい
と念じていたと思ってもそう的外れではないでしょう。