宮沢さんは “ そもそも「序文」とはなにか ” と書きはじめ、かなり入れ込
んで「序文」の内容を書いています。
そのことはあとで触れるとして、私も序文はよく読む必要があると思いま
す。 以前、ネットで「資本論」を漁っていましたら、「序文などまったく読む必
要なし」と述べいきなり「本文」の解読に入っていくものがあり、嫌な気持ち
がしたものでした。
「序文」は門から玄関へのアプローチのようなものではないでしょうか。
その家に住む人の雰囲気がその間の様子を通じて感じとれるのです。
もともと「序」という文字は「垣」を意味していたそうで、「門ー玄関」という
感じに通ずるところがあるでしょう。 ですから、「じょじょじょ」と「じぇじぇじぇ」
の悪乗りをしたような書き方も満更それだけでもないのです。
その「序文」で宮沢さんが強調しているのが、
マルクスがこの本(『資本論・第1部』)は最初の部分(「第1章「商品」)
以外はそんなに難しくない=第1章は難しいといっていることについて、
「商品を精緻に分析するにおいてそうとしか書くことができず、~こういう
叙述でしか「商品」を描けなかった」と結論づけたことです。
宮沢さんは経済学者ではないし、この本(『資本論』も読む)は、読者に
『資本論』の「解説」を目的としている訳でもないので、この「結論」につ
いては「そうなんです」でいいでしょう。