宮沢さんが「商品」で、苦しんでいます、「やはり、“商品” という概念はなか
なか手強い」と。 そこで、 劇作家らしくこんな光景を描きます。
寿司屋の店内、客の注文に応じて鮨を握っていた店の主人が、突然、自分
の握った鮨を客に出さず自分で自分の口に入れる、作るそばから。
客は立ちあがり「親父さん、どうしちゃたんだ」と叫び、女将さんが「あんたあ」
と声を上げる。
書きこまれる言葉、「自分の生産物によって自分自身の欲望を満足させる
人は、使用価値はつくるが、商品はつくらない、そこには交換価値がない」
宮沢さんは自分の本(『「資本論」も読む』)を、宮沢章夫vs『資本論』の格闘
のドキュメントとして読者に呈しています。 『資本論』を読むということは知的
格闘技ということです。 それだから「資本論入門書(『猿でもわかる資本論』と
か)」で、「わかった」ような気持になったとしてもその「わかった」はなんだろう
と、「わかった」のなら『資本論』は読まなくてていいのだろうか、と問いかけて
います。
以下はkaeruのつぶやき=相撲の話から。
勝っても観客から拍手の起こらない勝ち方、負けても大きな声援がわく勝負。
格闘の目的は相手に勝つことと自分に力をつけること、だから相手に勝てなく
なった時期というより、勝負を通じて自分に力がつかない、と感じた時が引退
の時なのでしょう。
知的格闘での引退時期は体力に依拠する格闘技とはかなり異にするでしょう。
とはいえ知的能力も広い意味での身体能力の一部ですので、いずれ引退時期を
向えます。 しかし、その時期は無限に、同一とは言わないにしても身体の死期に
近いのではないでしょうか。
『資本論』はそういう相手として史上最強・最適の手強い相手です。