この問題を「いのち・原発」のカテゴリーにいれるの?という感じでした、
もちろん死刑制度、殺人など「いのち」そのものを考えることには違いない
のです、でも、「原発は?」。
「原発」は人間の生命尊重と対立の位置に立つ政策です。「3・11」を
経験しながらもこの国の現在の政権維持者は、この立場を露骨に進めて
います。
そういう日本社会の諸現象のなかに「死刑囚の子・殺人被害者の子=
大山寛人さん」の問題はあるのだと思います。二回ほどTV番組を見ただ
けの浅い認識では、言いきれない部分が多いのですが。
この番組を通じて殺人事件の過半数以上が親族関係のなかでの事件だ
と知りました。もっとも濃密な関係であるが故に、かもしれませんがそこに殺
人事件がもっとも多く起きる、という事実は「自然な関係」が歪められ「不自
然」が強制されている、ことを示しているのではないでしょうか。
この問題と昨今の「生活保護申請」と親族の関係に対する「政治の介入」
もつながるところがある、と今は感じています。
このことは深めなければと思います、ここでは「寛人」という名前について
考えました。あるブログでこの名前が「寛い心・許す心」を生み出した、とい
うことを読み、そうかもしれないと思ったのです。
そうだとすれば、寛人さんの名付けは母親なのか父親なのか、二人の話
合いのなかから決められたのか、と。乳呑み子の頃から「ひろと・ひろちゃん」
と呼ばれ自分と一体になった名前、文字の意味を知って「寛容の寛」だと心
のなかに染込んでいったでしょう。
それが事実として今回の寛人さんと父親との交流が可能になったかを示
す能力はありませんが、結果としていま、母親も寛人さんのなかで生き続け
られ、やがて父親もそうなれるのです。