この本を読み、こうして書名を打ってみると沈んだ気持ちになります。
「沈んだ」には静めるという感情もまじり鎮める、という面もあります。
事柄の示す意味が重いからですが、大山寛人さんの少年期から青年
期にかけての精神的格闘・葛藤に目を凝らさなければ、と思います。
ちょうど、『レ・ミゼラブル』の次の文章を読んでいたところでした。
「海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。天空よりも壮大なる光景、
それは実に人の魂の内奥である。」
「人間は確かに自分自身に向って話しかけることがある。思考する生物
たる人間にしてそれを経験しなかった者は一人もあるまい。言語なるもの
は、人の内面において思想より本心へ本心より思想へと往復するときほど、
荘厳なる神秘さを取ることはない。」
魂の問題このことは、寛人さんと清隆さんの「共同作業」であり、相い響き
合ってつくり出されたものです。2011年6月7日の最高裁判決文中に「最大
の被害者・である息子の、父の存在が自らの生き甲斐だから残された唯一
の親である父まで奪わないでほしい、との訴えは誠に重い」と記しています。
「しかし、~被告人を死刑に処した原判決の量刑が、それを破棄しなけれ
ば著しく正義に反するとまでは認め得ない」としました。
法による裁判が魂の在り様を論ずるを目的にしない以上、それによって
失われる魂にたいして、少しでも長くこの地に留まるよう求めることは、社会
の行ない得ることで、そのことは「著しく正義に反するとまで」はいえないで
しょう。
「少しでも前向きなことをしたいと思った僕は、ホームページを作ることを思
いついた。」 ⇒ https://twitter.com/hiroto_ooyama
「父さんの死刑確定を受け入れたあの日から、僕の中には自分の経験を伝
えたい、発信していきたいという思いがうまれていた」、そのことがこうして多く
の人の一人である私にも届き、それを通じてさらなる人へと発信されています。