この日付そのものには月日の一日という意味しかありません。前日の一日
とか翌日の三日とかと区別するための印でしょう。それぞれがそれぞれの意
味を受け取って感じることがあればそれがその人にとってのその日です。
電子書籍の一種だと思いますが、タブレットに堀辰雄の 『風立ちぬ』 を入れ
読みだして、この日付のある頁に至りました、そこには年は書かれていません
が、こう書かれています。
「十一月二日
夜、一つの明りが私達を近づけ合っている。 その明りの下で、ものを言い合
わないことにも馴れて、私がせっせっと私達の生の幸福を主題にした物語を書
き続けていると、その笠の陰になった、薄暗いベッドの中に、節子はどこにいる
のだかいないのだか分からないほど、物静かに寝ている。ときどき私がそっち
へ顔を上げると、さっきからじっと私を見つめつづけていたかのように私を見つ
めていることがある。 「こうやってあなたのお側に居さえすれば、私はそれで好
いの」 と私にさえ言いたくってたまらないでいるような、愛情を籠めた目つきで
ある。 ああ、それがどんに今の私に自分達の所有している幸福を信じさせ、そし
てこうやってそれをはっきりした形を与えることに努力している私を助けていて
呉れることか!」
この日付の部分はこれだけ。
この部分の前は、十月二十七日で、
「 私はきょうもまた山や森で午後を過ごした。
一つの主題が、終日、私の考えを離れない。真の婚約ーー二人の人間がそ
の余りにも短い一生の間をどれだけお互いに幸福にさせ合えるか? ~」
ではじまるある程度長い文章です。
二日の次の日付は、十一月十日。
「 冬になる。 空が拡がり、山々はいよいよ近くなる。その山々の上方だけ、雪雲
らしいのがいつまでもじっとしているようなことがある。~」。
この日の部分も二日と比べると長い文章です。
これらの日々を記してある章は 「冬」 で、十二月五日で終わっています。
そして、つぎの 「死のかげの谷」 に記されるのは、
「一九三六年十二月一日 K・・村にて」 です。