蕪村の絵について補足しておきます。
壱 「旅立ちの図」に付して。(前掲 山と渓谷社刊『奥の細道』)
弥生も末の七日、あけぼのの空朧々(ろうろう)として、月は有明にて、
光をさまれるものから、富士の峰幽(かす)かに見えて、上野 ・ 谷中の花
の梢又いつかはと心ぼそし。 むつまじきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗り
て送る。 千住といふ所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさが
りて、幻のちまたに別離の泪をそそぐ。
行く春や鳥啼き魚の目は泪
これを矢立の初めとして行く道なほ進まず。 人々は途中に立ちならびて、
後かげの見ゆるまではと見送るなるべし。
弐 「芭蕉翁圖」に付して。(碧梧桐著 『画人蕪村』)
「芭蕉翁圖」に書かれている蕪村の書。
人の短を云ふことなかれおのれの長を説ことなかれ
もの云へば唇寒し秋の風 蕪村寫
元は五老井か圖せる蕉翁の像なり句はめい月や
池をめくりて終夜也それを座右の銘の句に書かへ
侍る ≫
参 蕪村筆 「学問は」 句賛自我像に付して。
(NHKテキスト『蕪村の四季』、玉城氏)
学問は尻からぬかるほたる哉
蛍のお尻から光がもれるように、学問は身につかないものだよ、
という軽妙な戒めです。 詩の背景や故事を究明することも大事だ
が、そのことに足をすくわれてはならないのです。